がんかもしれない

1. そのとき医師の顔が曇った
八ヶ岳南麓に越してきて6年。東京で腎臓を診てもらっていた大学病院の医師は、いままであった医師の中でもとくに信頼のおける人でした。
できれば、ずっと診てもらいたかったのですが、八ヶ岳からひんぱんに東京に通うのはたいへんで、近くの腎臓専門医を紹介してもらいました。当時、山梨県には彼が推薦できる医師が見当たらず、長野県の病院を紹介してもらいました。
そこの腎臓内科に通いはじめました。当初は、こちらも向こうも慣れないために、いろいろと行き違いや不満もありました。
しかし、ときを重ねるにつれて、お互いの気心も知れ、いまではかなり突っ込んだ話もできるようになりました。いろいろ話したいので、午後の診察にしてもいいですか、と医師からいわれるくらいになっています。
わたしの職業ももちろん知っています。本も差し上げました。
わたしは、いわゆる健康診断よりも主治医の指示のもとで行われる検査のほうを信用しています。
そこで、主治医の指示のもと年に1回超音波検査を受けています。血液・尿検査は3ヵ月ごとの診察のたびに受けていますし、場合によってその検査項目をふやし、チェックしてもらっています。胃や食道の内視鏡検査を必要に応じて受けています。
今年も超音波検査を受けました。検査を受けたその日に結果がわかるので、いつも診察室へ行くと、腎臓の検査数値の話になり、これはいつものように徐々に悪くなっていました。
超音波の検査を説明するときに、医師の顔が少し曇りました。
「ちょっと問題がありまして、右側の腎臓から出ている尿管と膀胱が接するあたりに何かがあるみたいです」
といいます。泌尿器科で精滅検査を受けてくださいといわれ、もし、泌尿器科でご存じのところがあれば、データをお渡ししますので、そこで診てもらってもいいですよ、と付け加えられました。
わたしの仕事柄、ほかの先生をご存じなら、その先生に診てもらってくださいというわけです。
すぐにほかの先生が思い浮かばなかったこともあり、同じ病院の泌尿器科で診てもらいます、と告げました。わたしのデータが直接わたりますので、その点は安心です。


2. ひょっとするとがんでは
じつは、主治医の話を聞いていて、思い浮かんだのはがんでした。
尿管がんか?
尿管は、腎臓と膀胱を結んでいます。尿管の壁は薄く、がんができた場合、がんの性質にもよりますが、悪性の場合は転移しやすく、予後も悪いことがわかっています。
ちょうどこのとき、原稿の締め切りがあり、それをどうしても優先しなければならない状況でした。
少し逃げ出したい心境でもありました。
泌尿器科の先生に、精密検査の日程を1カ月延ばしてもらい、ようやく先日CT検査と内視鏡検査を受けました。
その結果、膀胱憩室だったのです。
膀胱憩室とは、なんらかの原因で膀胱の一部が膨らんでそれが膀胱の外に飛び出してしまう状態です。わたしの場合、膀胱憩室が尿管との接合部にあったのです。そのために、超音波検査で尿管に何かがあるように映ったのです。
膀胱憩室にも当然尿はたまります。尿管との接合部が憩室になったために、尿が逆流しやすくなり、そのために腎臓に尿がたまる水腎症を起こし、右側の腎臓がだめになったようです。逆流しやすいために尿管もふつうより少し太くなります。ただし、現在は、右の腎臓は委縮しているので、尿管も腎臓近くに行くと、細くなり、CT検査でも見えなくなっています。
膀胱憩室がいつできたのか。先天的なものなのか。それはよくわかりません。
心配していた尿管がんでありませんでした。
いままで超音波検査を受けたことはありますが、膀胱がパンパンになるくらい尿をためて検査を受けてきませんでした。今回は、おしっこをがまんして膀胱にできるだけ尿をためて検査を受けました。その結果、尿管の異常、膀胱憩室がわかったのです。
いちばん気になっていた膀胱の内視鏡検査もはじめてでしたが、それほど心配することはありませんでした。専門の検査技師と看護師さんによって、安心して受けられました。


3. じつはがんを覚悟した
検査を受けるまで、原稿を書きながら、尿管がんに関して調べていました。すると、手術は腎臓、尿管、膀胱の一部を切り取ることになり、背中から下腹部にかけて、大きく開くことになります。
1期ならば予後もいいのですが、もし進行をしていると(転移があると)生存率がたいへん低いということを知りました。
そこで、尿管がんとわかり、転移があった場合、積極的な手術を受けないことにしようと、カミさんと話し合いました。
抗がん剤もできるだけ飲まずに、ふつうに生活を続ける。そして、その状況を書き残そう。わたしが書けないところはかみさんが書き、ふたりでがんになって積極的な治療を受けなかった場合、どういう状況になるのかということを残そう。
これが、わたしの仕事になる。
がんに向かう方法は、手術、抗がん剤放射線治療、さらには免疫療法といろいろあります。
わたしは、「がんも身のうち」と思っています。もしできるならば、がんと共存する方法はないものかと探っています。
何がなんでも叩いてしまうのではなく、ともに生きようというわけです。
治療を行わずに、ふつうに生活していき、寿命が尽きるのを迎える。こんな生き方もいいなと思っているのです。
そこで、積極的な治療を受けないという方向でいこうと考えました。
しかし、そういう事態にはなりませんでした。
この間、人は死ぬものだとつくづく思いました。
死は当たり前のことなのに、死を遠いものとしている。日常がずっと続くと信じている。
本当にがんといわれた人なら、なおのこと、そんなことを感じるでしょう。
いまがんでないといわれ、正直ホッとしています。
でも、いずれ死ぬことは間違いがない。それがよくわかりました。それは明日かもしれない、もう少し遠い明日かもしれない。
いまをもっとしっかり生きなければ、痛切に思っています。
ご心配いただいた方々、本当にありがとうございました。
そんなわけで、元気にしています。