酒田の歯科医師について

いま書いている本の関係で、山形県酒田市で開業している、歯科医師の熊谷崇先生を訪ねました。
熊谷先生のことは本で読んだり、親しい友人の大学教授やわたしが通っている歯医者さんから話を聞いたりしていました。
一度訪ねたいと思っていたので、お目にかかれて本当にうれしかったです。


熊谷先生は、酒田市内の日吉町というところで開業されています。市内の繁華街にあります。繁華街といっても、昔の話という感じですが。
日吉歯科診療所といいますが、おそらく日本でいちばん充実している歯科診療所ではないでしょうか。
わたしたちの歯を守るという点では、歯科の大学の病院より優れていると思います。
歯科医師が12名、歯科衛生士が22名、そのほか歯科技工士、アシスタント、受付などを含め、総勢50名のスタッフが働いています。
歯科医師もGPといわれる総合診断治療医、歯周病専門医、歯のつめもの、補綴といいますが、その補綴専門医、小児歯科専門医など、専門分野歯科医師がいます。専門医師のほとんどは、アメリカやスウェーデンに留学し、専門医としての勉強をしてきた人です。
歯科衛生士は、おもにメンテナンスといって、歯を虫歯や歯周病にならないように指導する仕事をしています。
歯科衛生士は、ひとり一人の患者を担当しています。患者の担当となることで責任も喜びもあるといいます。
歯科医院に必ずある、背中が倒れて完全にあおむけになれる、治療用のベッドですが、それが22台もあるのです。
22台の治療ベッドは個室にあります。
治療はすべて個室で行われています。
わたしが通っている歯科医院でも、治療は個室で行われますが、患者のプライバシーを守るためにも、治療中の感染を防ぐためにも、個室でなければならないといいます。
「歯科治療では、高速で回転するタービンを使いますが、そのときに血液や唾液が飛び散らないとはいえません。目に見えませんが、飛び散っている可能性があり、それを防ぐには個室でなければならないのです」(熊谷先生)。
個室の広さは、10畳ぐらいあるでしょうか。ベッドは真ん中にあって、作業テーブル、レントゲンなどがあります。各部屋は鉛が入った壁で仕切られているので、患者はベッドに横になったまま、レントゲン撮影を受けることができます。
これだけの陣容と設備を、開業医として持っている人はいないでしょう。


熊谷先生が、酒田に開業したのは1980年、いまから32年前です。
当時、山形県は3歳児の虫歯発症率が全国のワーストスリーの常連でした。来院する子どもたちの口の中をみると、重症の虫歯になってしまった子どもが多く、これは治療だけをしていてはだめだと、校医をしている小学校で、教師、保護者、児童をまきこんで、啓発活動を行いました。
最初からうまくいったわけではありませんが、だんだん浸透してきて、とくに養護の先生が一生懸命取り組んでくれるようになり、虫歯の発症率が徐々に減っていきました。
いまや、酒田市の小学校の6年生で虫歯にまったくなっていない子どもが55%もいて、治療したことのある歯の本数は、平均で0.81本。これは全国トップレベルになりました。


熊谷先生のすごいところは、治療の経過はすべて記録に残っていることです。
まず、初診でいくと、口の中の写真をとられます。レントゲン、それに虫歯菌などの数は確認するための検査がします。
現状を正確に把握することが重要だといいます。
それから診断をします。
ほとんどの歯医者さんに行ったら、すぐに歯の治療をしてくれますが、治療をはじめる前に、現状の確認をしなければ診断ができないはずだと熊谷先生はいいます。
虫歯があれば、それを削ってつめて終わり、ではなく、なぜ虫歯になったのかを調べるわけです。虫歯菌の数、唾液の量や能力、治療した歯の状態、フッ素の使用状況、歯垢のつき方などの検査をしなければ、虫歯や歯周病の本当の原因がわかりません。
治療をする前の診断が重要です。
それから治療に入っていきますが、場合によってすぐに治療をせずに、歯石をとったり、フッ素を使ったりして、様子をみることもあります。
根本的な原因をなくすことが治療ですから。
かぶせていたものがよくなかったり、治療がきちんと行われていないために、虫歯になることが多いのです。
虫歯も歯周病歯垢をとることも必要です。歯垢の中には細菌がたくさんいて、この細菌がバイオフィルムという膜をつくります。この膜につつまれ、虫歯菌も歯周病菌もふえていきます。
バイオフィルムを完全にとるには、PMTCという、歯科衛生士による清掃が必要です。
このPMTCを歯の治療の前に行うこともあります。
ケースバイケースですが、すぐに治療を行わずに診断をしていくことが重要です。
こうした診断、治療をきちんと行っているところは少ないでしょう。
写真は、診察のたびにとって記録していきます。
どんな治療をしてきたか、状況はどのように変わっていったかがわかります。
歯は外から見ることができますから、写真を撮っておくのは重要です。治療のすべてが残ります。もちろん、患者の「努力」も。


虫歯、歯周病は、自然治癒する病気ではありません。
放っておけば、確実に悪くなります。よくなることはありません。
まず、これを肝に銘じてほしい。
虫歯菌、歯周病菌を除菌する方法はあります。
しかし、いったん除菌できても、口の中の細菌をすべてなくすことはできません。また、口の中の細菌をすべてなくすのはよくありません。いい細菌と悪い細菌のバランスが大切なのです。
つまり、定期的に診てもらう必要があります。
これをメンテナンスといいますが、熊谷先生のところでは、このメンテナンスをしっかり行っています。
メンテナンスの患者さんの数は全体の65%だそうです。メンテナンスはおもに歯科衛生士の仕事になります。


日吉歯科診療所では原則として、健康保険が適用されます。
現在、保険診療自由診療をいっしょにすることはできませんから、写真をとったり、検査をしたりすることは無料です。
それでも患者の数はふえ、設備も整えることができ、歯科医師、歯科衛生士もふやすことができました。
いまの保険の範囲では満足のいく治療はできないとおっしゃりながらも、ここまでの歯科診療所にすることができるのです。
くわしくは、いま書いている本で紹介します。