伴走者か伴奏者か
先日、知り合いの精神科医と会った。わたしのFM番組への出演を依頼したのだが、どんな内容にしようかという相談だった。
わたし自身、がんになり、さらに原因不明の痛みに襲われ、精神的にかなり追い込まれていた。
自分では、がんの原因を究明するぐらいのつまりで、調べていけばいくほど、がんは誰にもかかる病気であり、防ぐことはむずかしい。
また、治療法も完全でなく、なくなる可能性も強いことがわかってくる。
ひとつでも光が見えるとホッとするものだが、それがひとつも見えないと、不安が強くなる。
不安が疑心暗鬼を生み、精神的にも追い込まれていく。
そんな状態になったとき、じぶんもいっしょに暮すパートナーも、どうすればいいのかわからなくなってくる。
囚われるとはまさにそのことだった。
精神科の彼は、
「伴走者の視点を持つこと、原因を究明するより、宙ぶらりんの状態かもしれないが、悪くなっていないのなら、それを受け止めること」
という。
伴走者とは、ともに走る人で、「がんばれ」ともいうがそれだけでなく、自らも走っているだけにいまどんな援助が必要かわかってくる。場合によっては同じ楽曲を弾く伴奏者かもしれない。
原因を追究するより、いまの状態を甘んじてもいいから受け入れ、そこから考える。このほうが救われる。
専門家だけによくわかる内容だった。