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先日、ある新聞記事に目が留まった。
タイトルに、
『痛みに涙、坂本龍一の治療 がんの究極の原因に気づいた』
とある。
いわゆるがんの闘病記のひとつかと思われたが、読んでいくとわたしとよく似ている。
彼はのどのがんである。2014年のとき、62歳。ステージはⅡとⅢの間。
それまで自分ががんになるとは思ってもみなかったという。
わたしも同様で、腎臓病で亡くなることは覚悟していたが、がんになると思っていなかった。
彼はあらゆる選択肢を検討し、そのときの標準治療に身を任せた。
わたしも、痛みがなければ、透析を受けていなければ、標準治療を選んだ。わたしの場合でいえば、抗がん剤治療となる。
原因不明の痛みに襲われ、かつ透析をしている患者でのデータが少なく、主治医も抗がん剤を勧めてこない。
「様子を見ましょう」
ということになるが、これはたいへん重要な言葉になる。
彼の場合、放射線治療を行うことになった。7週間の治療で口から喉全体に口内炎になり、唾をのむ、食べる、などすべてのことが苦痛を伴う。
治療が折り返しにさしかったとき、大泣きして、『やめさせてくれ』と訴えた。
そして、この間自分を苦しめているものは、いったい何者かを調べた。
その結果、がんは誰にでも起こる病気であり、生きている限り襲われる可能性がある。がんを受け入れるしかない。
ここまで非常によく似ている。
坂本氏は、津波ピアノに出会う。震災に会い、調律していないままのピアノを1昨年8年ぶりに作ったアルバムで使う。ピアノは狂ったといわれるけど、これは本来の姿ではないかと。
人間は愚かなもので、自分の意識がすべてを決定しているように、思っているけど、生命システムが動かしているのではないだろうか。意思はわずか5%ぐらいではないかと思っている。
人間に働きなどはほんのわずかなことにしか過ぎない。
これも同意。
健康という言葉は、独り歩きしやすい。
健康は病気ではないということだけを考えても深いのに、健康を簡単に考えていないだろうか。
病気になることは、別の世界を知ること。
これが大事。