大雪始末3 情報

今回の大雪、雪国の人から笑われてしまうかもしれないが、豪雪と呼びたい。
降り積もった雪は、150cmぐらいあっただろうか。市が保持しているか、もしくは委託している業者が持っている除雪車では対応ができなかった。
とくに山間部に点在して住んでいる住民の生活道路の除雪ができたのは雪が降った日から数えて1週間以上たってからだ。我が家の前の坂道も、4、50cmの積雪であれば、下に住むMさんといっしょに除雪をすることもできた。Mさんは養魚場を営んでいるのでマスやイワナなどを生きたまま運ぶために少し大きなトラックをもっている。そのトラックにチェーンを巻いて、除雪車のように雪の中をかきわけて、坂道の雪を圧雪してくれたので、いままではその恩恵にあずかってきた。我が家への出入り口と幹線道路に出るところをしっかり除雪しておけば、車で下界まで降りていくことができた。しかし、今回の雪はトラックをしても突き進むことができない量だった。
我が家は標高1000mのところにあり、生活必需品を購入するには車を使わなければならない。スーパーなどに歩いていくには1時間以上はかかるだろう。しかも、雪道となれば、かなりの装備をして行かなければ無理だ。冬山でスノーシューをしたときに、山のベテランから凍傷をはじめ、寒さの恐ろしさをたたき込まれた。
事実、少し離れているが、車が雪で動かなくなり、歩いて自宅まで帰ろうとした人が路上で凍死している。

今回の豪雪のときは、取材の予定もなく、2、3日前に単行本の原稿を版元に送ったばかりだった。特段外出の予定もなく、籠城生活ができた。
それでも知りたかったのは、生活道路の除雪がいつ行われるのか、幹線道路の除雪はどのくらい進んでいるのか、である。幹線道路の除雪が行われなければ、スーパーなどに生鮮食料品は届かない。
雪が降ってから5日目の18日に歩いて行ける範囲にあるコンビニに行ったとき、食糧としては棚に並んでいるのは少しのお菓子だけ。果物の缶詰、お煎餅などのお菓子を買ってきたが、集配のトラックは5日間もきておらず、20日しか入らないという。ガソリンなどもタンクローリーがこないためにスタンドでは、ガソリンも灯油も10Lと制限されていた。しかも、車で運ぶことができないので、子どもが雪遊びに使うそりに灯油を載せて運んでいる高齢者に出くわした。そりを使うのはいいアイディアと思ったが、それほど逼迫していたといってもいい。
こうした状態が解消されるのは、なんといっても道路の除雪である。その状況を知りたい。

市の災害メールに登録してあるが、市内の詳細な情報はこない。いまや除雪作業をしている人もほとんど携帯をもっているだろう。当然写真も撮れるはず。こうした写真を集め、どこまで除雪が進んでいるか、メールで知らせることはそれほどむずかしい作業とは思われない。
しかし、市からの情報がこないとすれば、自身で情報を集めるしかない。原稿は書き終えたので、雪かきの合間を縫ってパソコンやiPadでツイッターフェイスブックで近辺の情報を追ってみた。わたしのような横着者に助かったのは、友人たちが情報を集め、それを次々と紹介してくれたことだ。自分で調べなくても、道路の除雪状況からスーパーにどんな食材が並んでいるかまで、くわしく教えてくれた。
とくにフェイスブックに登録している友人たちから送られてくる情報は確実なものがほとんどである。写真が添付されているものが多く、信頼性が高い。わたしも歩いて行ける範囲で道路の写真などを撮り、ツイッターフェイスブックに発信した。
ツイッターだけで情報を得ようとしていた人も、この豪雪を期にフェイスブックをはじめたという。ツイッターは匿名で発信できるが、フェイスブックはいちおう実名の登録が必要だし、それまでの投稿などを見れば信頼できるかどうかはわかる。
情報によって、どのくらい籠城生活を続ければ下界まで降りられるのかがわかる。籠城をするにしても、情報の重要性を知った豪雪だった。
<追記>
ツイッターは、東日本大震災のときにも役立った。東京にいる子どもたちと連絡をとろうとしたが、携帯電話はまったくつながらない。そこでツイッターで安否の確認をした。これですぐにできたのである。いまは、スマホやiPadで簡単にできるが、当時は携帯電話を使って、ツイッターをしていた。それでも親子での安否は確認できた。これからも役立つだろう。