負けないで

がんにかかった。
いくら注意しても、がんを完全に防ぐことはむずかしいと思い知らされた。


なぜがんになったのか、といろいろ考えたこともあったが、
わたしの場合、自覚症状というようなものはまったくなかったし、
腹膜透析ができているかどうかを確認する段階で見つかったので、
がんになったというより見つかったという感じだろうか。
見つかったのはよかった。


もともと腎臓に問題があったので、尿が膀胱に流れていかなくなり、
腎臓が水腎症という症状が起こることが十分に考えられた。
尿管がんによって、尿がせき止められ、水腎症になり、これががん発見のきっかけだった。
だいぶ前に尿管がんを疑ったときがある。
そのときは、検査の結果、尿管と膀胱の接するところに憩室というくぼみができ、
そのために尿の流れが悪くなり、尿が逆流して腎臓が徐々に機能を失ったことがわかった。
超音波診断で陰になって映っていたのは憩室だった。
今回も、同じところに影が見つかったのだが、今度はがんが発生していた。


ブログでこうした自らの病状を公開している。
このブログが、フェイスブックと連動しているので、
フェイスブックで友人となっている人たちから、励ましの言葉をいただく。
たいへんありがたい。
「がんばって」という言葉は多いのだが、友人の造形作家のものは違った。
彼に会ったとき、ブログでわたしの病気のことがわかり、
何か言葉をかけたいと思ったのだが、なかなか言葉が浮かんでこなかったという。
考えた末に「負けないで」とコメントした。
いまのところ「がんばる」ていっても、腹膜透析は毎日のことだし、
放射線治療による疲れも持ち越さないように、少し横になったりするぐらいだし
、食欲はあまりないが、できるだけ食べるようにしている。
がんばることの中身が見当たらない。


「負けないで」はどうだろう。
病気が見つかり、それを受け止めるしかない。
受け止めるということは、多少のあきらめが含まれている。
寿命を知ったと思ったのだが、
それは現在の高齢者のように80歳、90歳、100歳と生きることがむずかしいということ。


これはあきらめかもしれない。
「負けないで」は、こうした心境に対し、病気に負けないという気持ちを持つこと。
これは大切だなと思った。
気力ともいえる。
負けないために、気力が必要だ。
わたしなどよりはるかに苦しい日々を送っておられる方々がたくさんいる。
生きる望みを失わないでがんばっている。

病気を見つめる、病気を認める、でも負けない。
これがいまわたしに求められている。