改めてことしもよろしく

1月1日発行の八ヶ岳ジャーナルに、以下のようなコラムを書かせていただきました。



あけましておめでとうございます

 
遠くに住む家族も、近くに住む親せきなども集まって、新年を言祝いでいることでしょう。
こうした穏やかな日々が訪れるのも、お正月の楽しみです。
わたしは、1昨年の年末に手術を受け、お正月を病院で迎えるという貴重な経験を昨年はしました。
病院にも新年は訪れますから、看護師さんから「あけましておめでとう」といわれます。ふつうは「今年もよろしく」となるわけですから、病院では「今年もよろしく」とはいいたくありません。「うーん、そうですね」といって、笑い合いました。
患者と看護師さんの関係は、かなり密なものがあります。お互いに病と闘うという共通の目的がありますし、それだけなくいたわりという感情が流れているからです。そこには信頼もあります。
人間関係が疎遠になっているとよく聞きます。知らない人には挨拶をしないほうがいいとわれるくらい。挨拶はすべてはじまりですから、挨拶こそ大切と思っているのですが。
ところで、あなたにとって密なる関係者はどなたですか。
家族と答える人が多いでしょう。
パートナーだったり、子どもたちだったり、父や母だったり。もちろん友人もいるでしょう。
お正月は密なる人々との再会でもあります。
わたしは、密なる関係はたいへん重要だと思っています。人間関係の基本になりますから。
そこで、この機に親子、夫婦、友人たちといまに何を考えているのかを話し合ってみましょう。
親子なら、親たちはこれから先をどう考えているのか、子どもたちはそれをどう思っているのか、それこそ腹を割って話してください。
そこで話し合ったことには結論が出ないかもしれません。結論が出なくてもいいのです。いや出ないほうがいいかもしれません。
話し合うということが大事だからです。
お正月は、話し合いのいい機会です。
 親たちもこれからの老い逝く先のことを話してみましょう。子どもたちがそれをどのように受け止めるかはわかりません。
密なる関係だからこそ、お互いに忌憚のない意見を交わすことができるはずです。多少の甘えがあってもかまいません。何しろ話し合う。
くり返しますが、お正月はいい機会です。


以上全文です。
お正月というと、わたしが必ず思い出すことがあります。
お年玉をもらいに、叔父の家に行くと、叔父はお年玉を渡しながら
「正月や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり、めでたくもなし」
といいました。
室町時代の僧侶、一休宗純がいった言葉だそうです。
昔は、1月1日を迎えると、年齢に関係なく、一歳歳をとりました。
それだけ、死に近づいているわけですから、冥土の旅の一里塚という言葉にも納得がいきます。


そんなことを思い出しながら書いたのですが、お読みになった方もおられると思いますが、
付け加えておきます。


改めまして今年もよろしくお願いいたします。