とらわれる

病気に対して、前向きになろう。
病気に負けていないか。


そんなことをかみさんからいわれている。
確かに、前向きでない自分がいるし、病気に負けているような気もする。


健康なときは、自分のからだは自分の自由になると思っている。
食事や運動に注意すれば、健康は保てるはずだが、それでも病はやってくるだが。


その病は、まず自分の力ではどうにもならない。
手術で切り取ったり、薬で克服したり、自分以外の力が必要になる。
それでも、病がコントールできれば、一時的でも健全なからだを取り戻すことができれば、その病と折り合いをつけることができる。


ところが、そんな簡単にはいかない病もある。
はじめて経験する痛み、不快感、食欲不振など、自分ではどうしようもないことに遭遇する。
そういう状態になると、病気に対して前向きになる、病気に負けないと心構えを維持することがむずかしい。
病気にとらわれてしまう。


とらわれるという言葉を調べていくと、「囚われる」という漢字に出くわす。
クニガマエの中に人、そう、囚人である。
この漢字を見ていると、ワクの中で闘っているのはひとり、そして、他者とのつながりも切断されている。
自分ひとりが大変な目にあっていると感じに陥ってしまう。


しかし、よく考えてみれば、ひとりで生きているわけではない。
そのことを思い知る日々である。
囚われの状態から、少しでも逃れられるように、つながりを大切にしたい。