医者のひとこと

 わたしの父は、透析のときにできる血栓が原因で敗血症になり、亡くなった。透析は、腎臓病の患者にとって救いである。一方、人工臓器はやはり人工臓器で、人がもっている臓器ではない。
 そんなわけで、透析をできるだけ遠ざけたいわたしとしては、「透析になるにしても70歳を過ぎてからで、それまでがんばって腎臓を持たせましょう」といわれたときはうれしかった。
 この先生に一生診てもらおうと心に誓いましたよ。
 ところが、そんなに人生はうまくいかない。いろいろな事情があって、東京を離れることになった。いまは、山梨県の北部、八ヶ岳南麓に住んでいるのだが、腎臓ネットで探しても、山梨県には腎臓の専門医がいない。大学病院もあるのに、専門医がいない。ちなみに腎臓の専門医がいないのはあとは岩手県だけ。長野県にはいるのだが、ちと遠い。
 さて、困った。
 誓い合った医師に相談したところ、茅野の病院を紹介された。そこに通い始めたのだが、東京の医師のようにはいかなかった。
 そのてんまつは、のちほど。