鈍感はイヤだ

 渡辺淳一が書いたエッセー『鈍感力』が売れている。小泉前首相が絶賛したようだが、もともと小泉は鈍感そのもの。あらためて鈍感力でもないだろうに。
 鈍感はよくない。季節の代わりよう、日差しの強さ、草花の芽吹き、すべてに敏感でありたい。自分の体に関しても、検査数値からしか変化を感じることができないのでは悲しい。何とか自分の体の声を聞きたい。
 沈黙の臓器は、肝臓だと思っていたら、腎臓もそうらしい。24時間働き続け、1日に1・5トンの血液を浄化、再吸収し、まったく弱音を吐かない。前もって、そろそろ休ませてくれ、と声を上げてくれれば、何とかできたかもしれないのに。
 でも、きっとどこかで声を出していたはず。その声を聞きそびれてしまったのだ。敏感にならなければ、何ごとにも耳をすまし、目をこらし、鼻を動かし、皮膚感覚を鍛え、敏感になりたい。
 そのためには、まずまわりの人に目を配ろう、と自戒しています。なんといっても自分勝手な奴といわれていますので。