おそらく生かされている

老いない、病気にならない、方法

老いない、病気にならない、方法

 この本を書き終わってしばらくたって、何か非常に物足りない印象があった。それは、いくら長生きをしても、その先には必ず死がある。その死をどのようにとらえているのか。
 とくに、長寿者が死をどのようにとらえているのか、それを知りたいと思った。
 じつは、死は日常にある。それを私たちは忘れているだけだ。日常にある死。それは1日という24時間単位なのか、それとも1時間という時間単位なのか、さらに1分という分単位なのか、さらにさらに1秒という秒単位なのか。
 突きつめて考えていくと、秒単位である。たまたま、いまという日常が途切れずにつながっているに過ぎない。
 テレビのコマーシャルで、すべては過去のものだとがん体験者が語っていた。だから、思い出が大切なのだと。
 がんという病気のおかげで、秒という単位で死を間近に感じた実感だろう。
 それでも、私は生きている。生きているのではなく、おそらく生かされている。これが大事なのだ。