待合室で訛りを聞く

 昨日、義父を眼科に連れて行く。白内障の手術後1週間目のチェックである。10時過ぎについたときには、順番待ちの番号札の数は66だった。待合室は、夏休みになったこともあり、子どももいて、ほぼ満室。この日にきてほしいといわれ、予約は入っているのだが、時間は決められていない。呼ばれるのをじっと待つ。
 名前を呼ばれ、視力検査をしたり、瞳を開く目薬をさされたりして、診察を待つのだが、昨日はじつに時間がかかった。視力検査をしてしばらくして、網膜の撮影を受けたり、また目薬をさされたりしているだが、診察を受けたのは午後1時近かった。
 約3時間近く待たされたのである。いつもなら本でも読んでいるのだが、昨日は本を持ってくるのを忘れた。
 義父の隣でただただ待つ。
 山梨でも峡北訛りと思っているのだが、少しイントネーションの異なる言葉が聞こえてくる。昔と様相がずいぶん変わってきたことなどを話している。家がふえたが住んでいない、別荘のようだ(確かに別荘がふえてきた、わたしの住んでいるところでもずいぶんと家がふえた)。子どもは東京に行っている(わが家の子どもたちも東京にいる、子どもたちを東京に置いてこちらにきてしまった。子どもたちは成人しています)。医者と結婚した子どもがいる(医者の知り合いがたくさんいる)など、もちろん声には出さないが、わたしも会話に参加してきた。
 わたしは横浜生まれで、「…じゃん」と語尾に「じゃん」をつけるのは、横浜の方言だと思っていたら、山梨の言葉だと聞き、がっくりしたことなどを思い出した。訛りを聞くのは病院の待合室に限る。
 いや、それにしてもこの眼科、最終的には番号札は90番台にもなっていたから、大はやりの眼科だろう。都会でもこんなはやっている眼科はないと思った。
 単科のクリニックで、こんなに患者がいるのは、地方だからなのだろうか。
 いろいろなことを考えてしまった病院通いである。