義父は非戦といった
昨日、FM八ヶ岳の終戦特集の収録にいってきた。
義父は自身のシベリア抑留体験を語るために、ここ1ヵ月ほど70歳代に書いた自叙伝を何度も読み返し、メモをとり、放送に備えていた。
シベリア抑留の体験を時間内にまとめて発表することはむずかしいと思われたが、シベリアで起こったことなどを断片的だが話すことができた。わたしが義父から話を引き出そうと少々無理を強いたような感じがして、もっとゆったり話してもらったほうがよかったなと思っている。
義父のシベリア抑留は3年3ヵ月に及び、これは1時間では話しきれない。さらに、テンポよく話すことがむずかしく、もう少し時間がほしかった。
最後に、「戦争とはなんだったのか」という質問に答え、「もともと非戦論者だったが、戦争を経験をしていっそうその思いを強くした」と発言していた。
反戦ではなく、非戦。戦いそのものがいやなのだ。戦いも嫌いだし、闘いも嫌いなのだ。
戦争を知らない若い世代へのメッセージは、「戦争中は、自分のしたいことができない。自由がないのだ」といっていた。自由にできない、自分の思ったことを話せない状況が、国全体に広がっていたのだ。これがいやだったのだろう。
義父は、質問にすぐに答えることはできないが、その話はじっくり聞くと味わいが深い。
うまく話してもらえなかったのは、インタビューしたわたしの責任がある。
まあ、そんなこんなで、放送は8月13日の午前中9時からである。再放送は、夜の8時から。
義父のいいたかったことをぜひ聞いてもらいたい。