なだらかな坂道、それも下り坂

 仕事場になっている部屋の前は、なだらかな坂道である。この道の先には、養魚場を営むMさん一家が住むだけで、ふだんは車が行き交うことも少ない。
 しかし、このお盆の時期は、別荘にくる車が日に何台も通る。何台も通るといっても、都会ほどのせわしさはなく、蝉の鳴く声がしっかりと耳に届く。こんな穏やかな気分になったのは久しぶりである。
 義父のアトリエが完成し、先週からそこに義父は生活を移した。約3ヵ月同じ屋根の下で暮らしたが、義父自身も身の置き場がなく、わたしたちもリビングが占領され、不自由な生活を強いられた。
 いっしょに住むに当たって、アトリエが完成してからと思っていたが、そうはいかない事情があり、前倒して暮らしはじめたのだが、それなりのストレスがあった。
 先日、話を聞いた認知症の専門医、長谷川和夫医師は、「認知症の人を家族だけで見てはいけない。専門家の手助けを必ず利用してください。さもないと、虐待の可能性が出てきます」といってたが、これがよくわかる。
 義父は認知症ではないが、いままでマイペースで暮らしてきただけに、なんとなくイライラすることがある。落ち着かない。これは双方にいえることだが。
 毎朝、わたしは新聞を取りに、義父はカミさんといっしょにウォーキングをしている。新聞を取って引き返すと、短い距離を歩いている、義父とカミさんに追いつく。カミさんとバトンタッチをして、今度は義父といっしょに歩く。
 距離としては、往復で1800mぐらいだが、義父の息が上がっている。なだらかでも坂道になると、支えがなければ下りることがおぼつかない。手を取って下りていくのだが、こちらにきた3ヵ月前とくらべると衰えがかなり進んでいることを実感する。
 94歳、96歳という高齢者を看取った友人に聞くと、90歳代の1年は10年の衰えだという。衰えのスピードは速いのだ。
 長生きする、健康長寿は、じつにむずかしいと、いっしょにくらしてみてよくわかった。