はためく、おむつの旗の下に
いただいた年賀状より。
わたしには幻が見える。はためくたくさんのおむつである。昭和23年、戦後まもなく、焼け跡に建てられたバラック。その傍らにある物干し竿には、たくさんのおむつがはためいている。国破れて山河あり、という状況にあって、町中にあふれる、私どもの泣き声。元気に泣き叫ぶ赤ん坊のわたしたち。もちろん泣くだけではない。にこにこと笑う。こうした赤ん坊を必死に育てようとした父や母。
たくさんの赤ん坊、これが日本の戦後の原風景ではなかったのではないだろうか。
団塊の世代といわれるわたしたちは、生まれることで戦後を支えたのである、と彼はいう。
戦後復興の騎手として、忘れてはならないのは、無力な赤ん坊である。
泣き、にっこりと笑い、そして、大人たちを魂の深みから揺り動かし、力づけた。
赤ん坊が安心して産まれる世の中。それはわたしたちに力をくれる。
そんな思いを強くした。
わたしは昭和24年生まれ。団塊の世代。好きな言葉ではないが、たくさんの赤ん坊のひとりとして、赤ん坊が生まれる町を。