枯れ木倒れ

 能でからだをまっすぐにしたまま仰向けに倒れる型のことを枯れ木倒れとか仏倒れという。
 義父が逝った。
 まさに枯れ木が静かに倒れるように。
 あっけない幕切れだった。
 退院してきて、元気になり、これから本格的な介護がはじまると覚悟を決めた矢先に。

 
 いっしょにくらしたのは、わずか1年弱だが、密度の濃い時間だった。
 日々、人の衰えを本当に間近で見た。
 人はこうして老いていくのだな、ということをつくづく知った。
 誰もが衰えていく。
 義父の日常に付き添っていると、それがよくわかった。
 辛くもあったが、一方で愛おしくもあった。


 いまいくつもの思い出が心に浮かぶ。
 わたしが田植えをする傍らで八ヶ岳をスケッチしていた義父、
 わたしの友人たちといっしょにベランダで食事をしたとき、少し遠慮がちな顔をした義父、
 亡くなる前日、昔将棋を指したときに、わたしが負けたことを話すと、楽しそうに声であげて笑った義父、
 たいへんなこともあったが、思い出もたくさんある。


 退院時、本も読めなくなり、絵も描けなくなり、これから何をすればいいのかと、問いた義父。
 無為の時間を過ごすことなく、すっと去っていったようだ。
 友人が弔問にきて、このように亡くなりたいといっていた。


 わたしはもう少し生きていてほしかった。


 義父から教わることはまだあるような気がしている。