死者の心
生きていること、死んでいること。その違いは何か。
心理学者の金沢創さんは、生きていた体がある瞬間に死を迎えたとき、突然動かなくなる。そのとき、いままであった『何か』が失われてしまったと人は感じる。チンパンジーにはこの『何か』を認識できるか。それをテーマにして『チンパンジーには死の認識があるか』ということを考えたとおっしゃっています(朝日新聞3月22日日曜版)。
この『何か』をわたしたちは『魂』とか『心』と呼んでいる。
さらに金沢さんは、この『何か』をお互いに共有しているのが人ではないかという。
確かに、生きている間は、お互いに話したり、同じことをしたりして、コミュニケーションをとっている。
しかし、死によって、こうしたコミュニケーションはとることができなくなる。
思い出という形で、残されたわたしたちの心に、逝ってしまった人のことは記憶されるが、それはわたしの記憶であって、その思い出を共有しているという感じはしない。
お互いに共有ができないことが、残されたものが感じる喪失感なのだろう。
生きている間しか、お互いというコミュニケーションはとることができない。
わたしの友人は、夫婦であっても他人である。だから、話しても話しても話足りるということはない。話し続けてもわかりあえないかもしれないが、話し続けることが大切だといった。
夫婦だけでなく、知り合った人々と話し続ける。これが重要のようだ。
死者と話すことはできないのだから。