エンドポイント

 終了点。人生のエンドポイントをどこに置くか。
 一昨日、友人の大学教授、歯科医師と横浜で食事をした。友人の歯科医師の診療所で働く歯科衛生士、それにカミさんもいっしょに。
 いろいろな話をしたが、中でも印象に残っているのが、人生のエンドポイントについてである。
 口の機能でいうと、下あごの骨がなくなるか、もしくはたいへんもろくなって骨折すると、口から食べることはできなくなる。下あごの骨がなくなると、本来は骨の中にある神経がむき出しになり、入れ歯を入れて食べようとすると痛みが走る。食べるときは、入れ歯をはずさなければならないという、何ともいえない状態になる。この時点で、口から食べることはできなくなってくる。これが口のエンドポイントである。
 口から食べることができなくても、胃に穴を開けてそこから栄養を入れる方法がある。胃瘻である。しかし、この時点で口のひとつの機能は失われていく。
 下あごの骨がなくなるのは、自前の歯がなくなり、入れ歯を入れたときからはじまっていく。ものを食べたときの噛む刺激が下あごの骨の機能を活発にさせているのだが、入れ歯ではその刺激が非常に弱いものになってしまう。総入れ歯になれば、刺激はもっと少なくなる。
 そのうちに下あごの骨が細くなり、やがてなくなっていく。
 下あごの骨を残すためにも、自前の歯を持つことがたいへん重要になる。その方法が、PMTCや3DSなのだ(もうひとつあるのだが、その方法はわたしがあまり推奨できない)。
 これらの方法がもっと普及すること、わたしたち自身も歯の重要性を自覚することが大切である。
 口のエンドポイント以外にも、エンドポイントはいくつもある。そのエンドポイントに陥らないように、がんばって生きていくのだが、それができなくなったときが本当のエンドポイントになる。
 自分なりのエンドポイントをどこに置くか。このへんでそろそろいいだろうというポイントがある。
 これを考えておかなくては。
 本当はすでに考えているんですが。