並んだ骨壺
義母は亡くなって、もう40年近くになる。
義父が亡くなり、義母の隣りにその骨壺が安置された。
40年ぶりの対面である。
娘が、おばあちゃんはおじいちゃんがわかるかな、と独り言。
息子が、いままでずっと見守っていたから、すぐわかるよと返す。
亡き人が生きているわたしたちを見守ってくれている。
これは、わたしたち家族が日ごろから感じていること。
娘はわたしの父に愛された。息子は義父に愛された。
ふたりは、それを生涯きっと忘れないだろう。
並んだふたつの骨壺を見ていて、ようやく納まったと思った。
納骨とはよくいったものだ。
骨を納めるとは、こういうことだったのか。
義母の骨壺が待っていましたよ、といっているようだった。
ふたつの骨壺が並んだ。これでいい。
このあと、おそらくわたしとカミさんの骨壺が並ぶことだろう。
人の死をこうして受けとめていく。
義父と暮らしてよかったとしみじみ思う。