何か気になる
気になる本、気になる雑誌がある。
近くに行きつけになるような本屋がないので(そもそも近くに本屋がない)、図書館に行くことが多い。
図書館では、いままで読んだことのない著者の本を読むようにしている。
買わないなら、いままで読んだことのない人を、というわけである。
そして、思いがけない本に出会うこともたびたびである。
最近では、道尾秀介。いまはけっこう話題になっている作家だが、最初図書館の本棚で名前を見たとき、なんとなく気になって手に取った。確か、『ラットマン』だったと思う。なかなか面白く、続けてほかの作品を読もうと思っていたら、図書館にはホラー系のものしかなかったのでやめにした。
名前だけは覚えていたが、別の作品を読む機会に恵まれなかった。
ところが、彼はあっという間に直木賞の候補になり、知られるようになっていった。
気になるとはこういうことだったのか。ふとそんなことを思った。
長年気になっていた雑誌がある。新聞1面の6割広告に最新号の案内が入る(サンヤツといわれているもの)。中身を見て、これはお坊さんが読むのか、それとも仏教徒が読むのか。それこそ気になっていた。
最新号といっても、書店でもあまり見かけたことがなかった。
それが、長野県の書店で見つけた。『大法輪』という。
特集は、一日五分からのお経入門。これは各宗派別にお経入門になっている。
巻頭のページは、「暗室に灯を蔵(かく)す」
暗い部屋に灯っている明かりを隠すという意味で、頼りになるものを奪い去るということのようだ。
禅では、灯火は仏の知恵を現している、その知恵がなくなった。自ら頼るところが何もない、真っ暗な闇の中にひとり置かれた状態である。まことに心細い。
しかし、この言葉の本意は、いくら仏の知恵が見えなくても、それはすでに自らの中にある。己自身の仏性に気づけ、というものらしい。
すごい。いや、巻頭のページですでに参った。
毎号買おうと思ったが、わたしにわかるだろうか。