それは生前葬のようだった

 こういう書き方は不謹慎と思うが、昨日パーティに呼ばれて、お祝いを述べている人たちの話を聞いていたら、そんなことを思った。
 だいぶ昔、いまほど簡単にお医者さんもテレビに出てくれなかった時代、お医者さんを紹介するような番組をつくれないかと知り合いのTVプロデューサーから声をかけられ、いくつか番組をつくったことがある。
 わたしたちがプロデュースした番組はそれなりに話題になった。いわゆる名医を紹介する番組である。
 名医といわれるような先生で、しかも開業されている人というのが条件だった。いわく、町の名医。
 そんな先生方を紹介する番組をつくったのだが、名医とは何か、どのように紹介するのか。はじめてつくる番組などで、このことがいつも話題になった。
 まず、紹介する先生の学会での活動や治療方針、治療方法などを調べ、さらに患者さんにも話を聞いた。町に出て、いろいろな人に聞き、評判がいいことを確かめた。もちろんすべての人に確認できたわけではないが、この先生なら紹介できると思い、出演交渉をすると、多くの先生方は、「わたしは名医ではないよ。ただ、患者さんのために一所懸命しているだけだ」といわれた。名医と番組に謳うなら出演しないという先生もいた。
 そこをなんとか説得して、出演にこぎつけた先生もいる。
 昨日、当時の番組にご登場いただいた先生が勲章をもらったので、お祝いの会を開くからきてくれといわれ、出席したのである。
 開業医を中心に構成されているいくつもの学会で理事をされ、ご自身の病院も別館を造るまでになっている。いまは、一線を退いている。
 活躍されていたときのご様子や、現院長の話などを聞いていて、不謹慎ながら、生前葬のようだと思ったのである。
 300人ぐらいの人が参加されていて、帰りにはみなが先生を囲み、懐かしそうに話し、別れていった。
 パーティも別れの光景もすべて、録画されていた。家庭用のカメラではなく、業務用の本格的なカメラで撮影されていた。
 先生は、その映像を見て、楽しそうに懐かしむのだろう。
 こういうのはいいな、と思った。お誘いを受けてちょっとちゅうちょしていたが、行ってよかったと思った。