月の水 ごくごく飲んで 稲を刈る


 今年は、夏が夏らしくなく、稲の実りも心配だったが、お盆明けから9月に入って晴天が続き、まあまあの出来となった。
 少し、いもち病が出て、実が入っていないものもあり、収量は昨年より落ちるだろう。また、稲刈り間近に台風に襲われ、稲がだいぶ倒れてしまい、例年より落ち穂が多い。
 稲刈りは、いままで師匠と二人でやっていた。昔ながらのバインダーといわれる、結束機を使って、束ねられた稲を稲架にかけていく。稲架は、はさとかはざとかいうらしいが、わたしの住んでいるところでは「牛」という。
 牛をたてる、牛にかけるというように、牛というが、角があって稲がかかっていくと、見ようによっては牛に見えないこともない。
 今年は、友人が手伝ってくれるので、作業も早く進んだ。
 以前もこのブログに書いたが、田植え、稲刈りは農家の一大事業のはずなのに、圃場に出ているのはわたしだけで、まさに閑散としている。
 たまにコンバインがやってきて、あっという間に稲を刈り取り、その場で籾にしていく。その籾をライスセンターに運ぶ軽トラがやってくるだけ。ライスセンターでは、あっという間に乾かしてくれる。あとは精米するだけ。人手がいらないようになっている。
 しかし、稲架に稲がかかっている風景は、実りの象徴でもあり、秋だなと感じさせてくれる。美しい。
 表題の句は、農業をしている本宮哲郎さんのもの。稲刈りははじめたら終わるまでやめるわけにはいかない。
 秋は日暮れが早く、作業の終わらない内に月が出てきた。汲み置いた水に、月が映りこんでいる。そこに柄杓と入れて、ごくごくと飲み干す。
 稲刈りをよく知っている人の句だ。
 稲刈りは、なぜかのどが渇くのである。ごくごくと水を飲む。さすが、その状態を余すことなく描いている。
 わたしもこんな句を作ってみたい。

写真に写っている人が師匠で、わたしではありません。念のため。