今年もよろしくお願いします
本来ならあけましておめでとうございますだが、喪中なので、今年もよろしくお願いしますで、スタートします。
これから紹介する内容は、FM八ヶ岳で話している放送用のレジメです。ほぼ毎週話していますが、毎回レジメをつくっています。簡単ものもありますが、けっこう書き込んであるものもあります。
今年は、それを少し紹介していこうを思っています。それでは。
2010年最初の話
1あけましておめでとうございます
2010年がスタートしました。今年はどんな年になるでしょう。
(関さん=パートナーはどんな年にしたいですか?答えて)
わたしは、今年もいくつもしたいことがありますが、ちょっとそれを発表する前に、新年ですから、新年らしい「句」を探してきました。俳句も短歌も好きで、インターネットでよく見るサイトがあるのですが、そこで紹介されていました。(顔に似合わずの声あり)
金沢出身の詩人であり、小説家の室生犀星の句に、
新年の山重なりて雪ばかり
というものがあります。金沢の町から見える山々を読んだのでしょう。金沢を愛した室生らしい句ですが、この句はわたしたちの住んでいるところ(山梨県北杜市)でも同じような風情にふれることができますね。
お正月でも新聞をとりにいきながら、毎朝約40分のウォーキングをしていますが、南アルプス、八ヶ岳がすっかり雪におおわれてきれいですね。
とくに南アルプスの北岳は、山並みからすっくりと立ち上がり、山の雪に朝日が光り輝いて、本当に神々しい。天気がいいとよく見えますが、いいところに住んでいるなとしみじみ感じます。
星野麦丘人という俳人がいます。
只の年またくる それでよかりけり
これは、特別な年がやってくるわけではないが、それはそれでいいではないかというものです。
今年冬季オリンピックがありますが、きっと選手たちはたいへんな年になるでしょう。
また、サッカーのワールドカップもあります。
スポーツ選手はもちろん、若い人なら受験やら結婚やら、出産もあるでしょう。まさに特別な年。
まあ、わたしたちの年齢になると、それほど変わったことがないことのほうがうれしい。
ゆるやかの時間に流れに身をまかす。これがいいですね。
2元日や冥土の旅の一里塚
これは一休禅師の句です。この句を知ったのは小学生のころ。正月、正月と浮かれているところに、確か親戚の叔父だったと思いますが、この一休禅師の句を教えてくれたのです。ちょっと驚きました。
年が明けて数え年でいうと1年、年をとったわけで、それだけ死に近づいている。人はいずれ必ず死ぬものだ。覚悟をしておけ、ということだと思っています。
元日や に続いて、めでたくもあり めでたくもなし
と続きますから、まさにその通り。
寿命といいますが、何歳ぐらいまで生きたいですか。
(答えて)
わたしの知り合いに同じ質問をしました。60代のときは、72、3でいいかなといっていました。こんどはその歳になったら、もう少し生きてもいいかもしれないといって、80歳といいました。
この間会ったときに聞くと、孫が生まれたので、孫といっぱいやりたいからあと20年、つまり100歳まで生きたいとおっしゃっていました。
これは生きる欲とでもいいましょうか。
以前わたしといっしょにこの番組をしていた生島さんも100歳まで生きてみたいとおっしゃっていました。あと20数年後の世の中を見てみたいというのが理由でしたが。
堀田善衛の『インドで考えたこと』のなかに、「アジアでは生きたい、生きたいと叫んでいる。西洋では死にたくない、死にたくないといっている」とあります。
テレビの健康情報番組を見ていると、いろいろな健康法を紹介して、何歳まで生きられるとか、というのが多い。
わたしも健康法を紹介しますが、人はいずれ死ぬこと。これを忘れてはいけない。
こちらに住むようになって知り合いになった医師と話をしていたのですが、昔からここに住んでいる人は、ある年齢になると、そろそろお迎えがくるかなといって、死を迎えるような気配になるといいます。ところが都会からきた人は、もっと生きたい、いい方法はないかと病院を渡り歩くそうです。
四季の移ろいを実感すると、人もこの自然の一部だなと思います。春がきて、夏がきて、秋がきて、やがて冬がやってくる。
木々が芽を出し、葉をつけ、葉が茂り、その葉が色づき、そして散っていく。こうした季節の移ろいを感じることが大切だと思います。
一休さんの句は、こんなことも思い出せてくれます。
3ブログを書いています
昨年の暮れに365日に達しました。日記ですから、365日というのでしょうが、はじめてから365回更新したというわけです。
4年目で達成しました。わたしのブログは、医療ジャーナリスト蒲谷茂の日記というタイトルです。FM八ヶ岳の番組のプロフィール欄で、わたしのプロフィールを見てもらうと、リンクがあります。
4年前のいちばん最初にブログで書いたのは、自分の病気をカミングアウトしようというものでした。
病気宣言をすることで、新しい人生を歩むことができるようになるとあります。病気をすることで何かを掴み、生き生きと生きている人がいるというわけです。
自分自身を見つめ直すということです。
さて、わたしがしたいことは、個人的なことは別にして、患者が中心の医療を実現することです。
以前この放送でも、患者が中心になる方法のひとつとして、看護師が病院経営の中心になるべきだという話をしました。
医師は、病気を診るが、看護師は病気だけでなく、患者の社会的背景を知ることが多く、自然と患者中心になっていく。だから、患者中心の医療を行うには看護師の力は欠かせないといっている聖路加看護大学学長の話もしました。
医療を受けるのは患者ですから、患者中心になるのは当然です。この正月の休みに、鎌田実さんの『言葉で治療する』佐々木常雄さんの『がんを生きる』などを読みました。
ともに病院長をされている人です。病院のトップです。それだけご自身の発言に責任もあるし、それなりの影響力があることをご存じです。
諏訪中央病院も都立駒込病院も知っている病院です。おふたりに直接お目にかかったことはありませんが。
おふたりとも患者中心に患者に寄り添うためにはどうしたらいいのか。悩んでいる。
そこから、いくつものの提案もしている。
両方の著書に共通しているのは、患者さんにいかに納得してもらうかということです。
先日、わたしの知り合いががんになったのですが、わたしに相談しようと思ったのですが、ご自身でいろいろ悩んで、自分で病院を選び、治療法も選択して、手術を受けた。納得して治療を受けた。
これからも前向きにがんばろうとしている。
これが大切なのです。わたしたちが提供するのは知識ですが、それもよく理解してもらいたいと思いますが、なにしろ自分で納得して治療を受ける。
たとえ、どんな状況になろうと、納得していれば耐えることもできる。
納得するために、医師や看護師の言葉も大切です。もちろん、自分でも努力する必要もあります。
むずかしいですが、自分のからだをよく知って、自分でできることは自分でやる。これも大切ですね。