医療者のひとこと

 1月も最終日になりました。これから紹介するのも、FM八ヶ岳1月最後の放送原稿です。
 医療従事者の言葉についての放送です。

医療者のひとこと
1諏訪中央病院の話
『言葉で治療する』という鎌田実先生の書かれた本がよく売れています。
「医師・看護師も患者さん・家族もお互いに救われる、新しいコミュニケーション術」というのが帯のタイトルです。
 …医療者の言葉次第で、治療の日々が天国にも地獄にもなる。衝撃の現場を紹介しながら、立ち直っていく言葉を具体的に提案する…
 確かに、医師に限りませんが、医療従事者の言葉で元気になることもあるし、反対にひどく落ち込んでしまうこともあります。
 だいぶ前のことですが、鎌田先生が院長をしていたころだと思いますが、諏訪中央病院を取材しようと訪れたことがあります。
 そのときに、東京から車で行くといって病院までの行き方を聞いたときに、諏訪インターに病院の地図がありますから、それをもらってきてくださいといわれ、さらに、「気をつけてきてください、お待ちしております」と電話の交換台の人にいわれました。
 わたしはいままでいろいろな病院に取材に行っていますが、「気をつけてきてください」といわれたのははじめてでした。
 いまはこちらに越してきて、定期的に諏訪中央病院に通っています。わたしは腎臓の具合がよくないので、東京にいたときは腎臓の専門医に見てもらっていたのですが、越してくるに当たってその先生に相談したところ、山梨県にはその先生の知り合いの先生(当時、山梨県に腎臓病の専門サイトに登録している医師がいませんでした。ちなみにいまはいます)がいませんでした。そこで、東京の腎臓の先生がご存じだった諏訪中央病院を紹介されました。
 最初、初診でいったとき、順番がくるまでずいぶん待たされました。これは仕方のないことです。
 だいぶ待ちましたが、看護師さんがやってきて、「あと何人です。お待たせしてすいません」といわれた。病院の待合室で看護師さんから、こんな言葉をかけられたのははじめてです。
 この看護師さんのひとことで、いい病院だなと思ってしまった。医療従事者の言葉は大切です。
 別のときですが、ある患者さんが看護師さんと話している。看護師さんがいわく、「こんなところで会うのは嫌だわね」。彼女のお友だちだと思いますが、確かに病院では会いたくないですね。それを看護師さんがいう。いかにも地方の病院。でも、わたしはこれもある意味で親しみがあっていい言葉だなと思います。
 
2あるクリニックの話
 これは東京にいたときの話です。当時、歩いて15分ぐらいの範囲に、12、3軒のクリニックや診療所がありました。
 内科はもちろん、外科、小児科、整形外科、耳鼻科、精神科もありました。形成外科というのもありました。医者の激戦区かもしれません。もちろん、はやっているクリニックとあまりはやっていないところもありました。
 わたしの場合、家からいちばん近いクリニックがかかりつけ医で、家族もみなそこで見てもらっていました。開業したのは比較的新しいかもしれません。
 そのクリニックで、あるとき、受付の人がお年寄りに一生懸命話している。聞くともなく聞いてしまったのですが、家に帰ったら必ず電話をください、といっているようです。どうやらいつもは家族がついてくるようですが、そのときは患者さんはひとりでした。足元がちょっとおぼつかない。受付の女性は送っていけたらいいのですが、それができないので家に帰ってから電話をくださいといっていたのです。患者のことを心配して声をかけていたのです。
 このクリニックは、いつもお年寄りでいっぱいでした。お年寄りにこうした声かけをしている。それが、お年寄りを安心させていたのだと思います。
 この小さなクリニックにも看護師がいるのですが、近所の人ではないそうです。じつは受付の女性は先生の奥さんで、いろいろ話すようになったのですが、看護師さんや事務の人はできるだけ近くの人を雇わないようにしているといっていました。
 近所の人がいると、なんとなくいやでしょう、といわれたのが印象的でした。
 その先生は無口で必要以上のことはいわないのですが、奥さんである医療スタッフがいい。
 患者中心を考えて治療を行う。それは医師の力だけではありません。看護師さんだったり、医療事務の人だったり、検査をする人だったり、医療にたずさわるすべての人の力が必要です。
 患者は、もともと具合が悪くてきているわけで、それだけで弱っているのです。弱い立場の人を気遣う。それが必要です。基本だと思っています。

3富士見高原病院の話
 わたしの義父が亡くなったときのことです。
 その朝、食欲がないから寝ているというので、ベッドに横になっていました。午前中に、何か食べる? と聞くと少しならというので、みそ汁ぐらい飲んだでしょうか。少しゼーゼーしているようですが、病院にいたときもそういうことはよくありましたら、そんなに心配しませんでした。
 そのうちに、なんだか呼吸が浅くなってきたような気がして。当時、義父は週に何回かデイサービスに行っていたので、そこに電話をして相談しました。痰でもつまったのかと思っていました。デイサービスの看護師さんが、痰の吸入の道具があるからすぐに行きますといわれ、きてくれました。看護師さんがきて、これはすぐに救急車を呼んでください、といわれ、もうこのときはだいぶ危ない状態だったようです。看護師さんは一生懸命人工呼吸をしてくれました。
 救急車で入院していた病院で行ったのですが、入り口で担当だった先生が待っていてくれました。
 すぐに救急処置室に運ばれ、人工呼吸や心臓マッサージなどの処置をしていただきました。しかし、助かりませんでした。
 義父は、尊厳死協会に入っていて、延命処置は受けないといっていました。これは担当の医師にも話してありましたから、それ以上の治療を望みませんでした。
 義父の死因を調べるために、CTをしたいといわれたので同意しました。死因を調べるために、亡くなった方をCTもしくはMRIをかけて調べる方法です。
 義父の場合、腸閉塞があり、また、直接の死因は誤嚥による窒息であることがわかりました。94歳という年齢もあり、これは天命だと思っています。
 病院の入り口で待ってくれた担当の先生には、大いに感謝しています。入り口で待っていてくれたということだけで、家族は満足するのです。
 ほんのちょっとした言葉。ほんのちょっとした行動。
 じつは、そこに本音が見えることがあります。意外とそれを見てしまうんですね。患者は弱いものといいました。だから、ひとことが重要なのです。
 何気ないひとこと、といいますが、何気ないということはないのです。そこに何らかの意思がある、考えがある。 だから、言葉を大切にしないといけない。
 それに、医療者からの言葉に対して、「ありがとう」といいたいですね。いい言葉をかけてもらったのだから、お礼が必要です。
 患者がお礼をいうことで、いった人も元気をもらえる。別の患者さんにも声かけをしていくでしょう。いい循環が生まれます。これも大切です。