命の重さ

 吉田修一の『横道世之介』を読んでいたら、主人公と彼女が岩場で、ごつごつしているような海岸で、キスをしようとしているところに、ボートに乗った難民が上陸しようとしてくる下りがある。難民を海上保安庁や警察が待ちかまえている。
 なんとか逃れようとする難民の母親から赤ん坊をふたりが託されてしまう。結局、赤ん坊は、警察に取り上げられ、主人公たちも逮捕されてしまう。
 そのときに主人公たちが感じた赤ん坊の重さ。これが主人公の彼女の人生を大きく変えていく。
 難民の母親から、この子の命だけは助けてください、というように、子どもを託されたら、どんな人もで何とかしたいと思うだろう。そのことがきっかけになって、人生が変わっていく。十分に納得する話である。


 じつは、毎年正月を過ぎたころに、カミさんの友人から手紙が届く。
 以前このブログでも、焼け跡にひるがえるおむつの話を書いた。わたしたち団塊の世代が誕生したのは、戦争が終わり、新しい時代が始まろうとしているときだった。その新しい時代の象徴のように生まれてきたのがわたしたちである。わたしたちが生まれることで、日本に活気がよみがえった。焼け跡にひるがえるおむつは、まさに復興の旗印だった。そのことを忘れていけない。
 わたしたちは、生まれることで時代をつくったのだという話を、彼がしてくれたのである。
 今回の友人の手紙は、命の重さについてだった。
 赤ん坊を受け取ったときに感じる重さ、あれが命の重さであるという。頼りなく腕のなかでうごめく命、ひとりでは生きられない命、まだ何もなしていないがそこに存在する命。その重さが命の重さだと彼はいう。
 赤ん坊の体重を感じる。
 それが大切なのだ。決して、腕のなかで感じた重さを忘れてはいけない。


 義父が亡くなったとき、病院から「ご遺体を運んでください」といわれた。この地方では、遺体は家族で運ぶものだという。車に遺体を抱きかかえるようにして乗り込めばいいという。
 親戚や家族がたくさんいればいいかもしれないが、わたしとカミさんのふたりだけでは、車に乗せることはできるかもしれないが、遺体を義父の部屋に運ぶことはむずかしい。
 友人に葬儀屋さんを紹介してもらい、葬儀屋さんが大きな車できてくれ、運ぶことができた。
 義父の部屋にまで遺体を運ぶ段になり、葬儀屋さん2名とわたしの3人で運んだが、これはたいへんだった。
 じつに重かった。
 義父は亡くなってしまったが、あの重さも命の重さだった。
 赤ん坊の重さ、94歳の人生を生ききった義父の重さ。
 このふたつの重さは忘れらない。