瀬戸内国際芸術祭1

 小豆島へ向かう。

 瀬戸内国際芸術祭は、瀬戸内海に浮かぶ7つの島に現代アートが展示されている。観に行くには、当然、島々も巡ることになる。アートにふれること、それ自体が旅になるというのが、この芸術祭の大きな特徴である。
 美術館に展示されているアートを見るのではなく、島に渡り、島のあちこちに展示されているアート作品を巡っていく。作品に出会う旅であり、島の人に出会う旅であり、この芸術祭を応援している人々に出会う旅であり、ともにアートを鑑賞しようと島を巡っている旅人に出会う旅である。
 本当に、出会いの旅であったことはある出来事を通して実感した。それはのちほど。
 小豆島でいちばん見たかったのがこれ。

 台湾の王文志氏の作品。竹を編め込み、まるでドームのような建物。高さ10mから15mもあり、中は空洞になっている。これが稲刈りを終えた田んぼの脇に立っている。小豆島の家と名付けられている。中に入ると、竹の間から、周囲の景色が見える。空も見える。少し高くなったところに寝転ぶと、包まれているのだが、誰かにのぞかれているような、不思議な感覚がわいてくる。竹という素材だから、なのだろう。

 中はこんな感じ。ここでいろいろなイベントが開かれたようだが、わたしたちが行ったときは、なにもありませんでした。
 このほか、砂浜に漁網のようにかけられているものをじっと見ると、網目がすべて人型だったり、船の中をさまざまゴミで飾り、それに金色のスプレーを吹きかけたものなど、面白いものがある。なんだ、と思って近づいていくと、意外なものだったりして、驚かしてくれる。まさにインスタレーション

 次は、豊島。てしまと読む。この島は産業廃棄物で話題なった。いまでも捨てられた廃棄物を直島に運んでいる。
 豊島では、ボルタンスキー(仏)の「心臓音のアーカイブ」を観たというより実感した。ボルタンスキーが世界中から集めた人間の心臓音を聞かせてくれる。心臓音は無秩序に流されているのだが、一瞬すべてが重なり合うときもあり、大きな音が部屋の中に響く。小屋の中は撮影できないので写真はありません。暗い小屋の中、フラッシュだけの暗闇に、心臓音が響くのは、まさに実感するしかない。
 別の部屋では、彼が収集した世界中の人の心臓音を聞ける。いろいろな国、さまざまな人種。性別、年齢などによって、心臓音がこんなに違うのか、これも驚き。自分の心臓音を録音してもらうと、心臓音のアーカイブに参加できるという。
 わたしは自分の心臓音を録音してこなかったが、自分が死んだ後も心臓音だけが残るというのもありかな、と思った。
 このときにすでに雨が降り出し、もうひとつ見たかった森万里子のトムナフーリは見れなかった。これは沼のようなところに、ガラスのモニュメント(塔のような感じ)があり、スーパーカミオカンデとコンピュータで結ばれ、超新星が爆発すると光を放つ。雨のために入場禁止となってしまった。
 かなり強い雨で帰りの船が気になり、桟橋に行くと同じように帰りを心配している人たちであふれていた。高松に帰る船を待つために、雨の中を並んでいるうちにいっしょに並んでいる若者と親しくなった。わたしたちは傘を持っていたし、防寒用にブルゾンも着こんでいたが、彼は傘もささずに、ポンチョのようなものを頭からかぶっている。整理券を配る、配らないなどをもめているうちに、待っているわたしたちの間に連帯感が生まれたのである。
 ようやく船に乗れたが、瀬戸内も大荒れ、まるでジェットコースターに乗っているようだった。無事に高松に帰りついたが、なんとなく仲良くなった彼に「楽しかったね」というと、笑い顔で答えてくれた。そして、翌日、直島で彼をまた会ったのである。
 これも旅の出会いというものだ。さて、次は直島。後日。