瀬戸内国際芸術祭2

 直島へ。直島にはベネッセハウスミュージアムをはじめ、地中美術館などがあり、年間30万人が訪れる。瀬戸内国際芸術祭も直島がなければ、開催できなかったと思う。
 到着して、すぐに地中美術館へ行くバスに乗る。地中美術館は、入館者の数が限られているため、前もって整理券をもらう必要があるからだ。整理券は、午後の入館となった。
 それまで、ベネッセハウスミュージアムを観ようと、歩いて行くと、李禹煥美術館があった。安藤忠雄の設計による美術館は、それ自体が十分にアートである。

 柱の広場と名付けられた石柱があり、バックが安藤らしいコンクリート打ちっぱなしの壁面がある。柱とこの壁面のコントラストがいい。
 中は撮影禁止で紹介できないが、大きな石の影の部分に波の映像が映し出され、観るものをはなさない。膜想の間という真っ白に塗られた空間は、観るほうが問われているような印象がある。
 李禹煥の個人美術館だが、その作品は一つひとつ哲学のような感じで、何かを考えずにいられなかった。その作品を包む、安藤忠雄の建築ももちろんアートであった。
 ベネッセハウスミュージアムも、それぞれの作品がこのように展示されなければならないという感じで、気持ちがいい。ジェニファー・バートレットの「黄色と黒のボート」が好きだ。ブルース・ナウマンの「100生きて死ね」もいい。come and die 、eat and liveなど、生きていくうえですることと生、そして死が並んでネオン管の文字で表現されている。これがあっとランダムに点滅する。生きる行為とは、こんなにたくさんのことがあり、しかし死はひとつなんだなと思った。
 地中美術館もよかった。入口から地中に下りていく。自分がいったいどこにいるのか、わからなくなる。入った人がみな迷っている感じで、それも面白い。
 建物の上部(天井)にいくつもの窓のようなものが切られていて、そこから自然光が展示室に入ってくるようになっている。展示室がそれぞれ独立しているので、作家の個性が活きてくる。モネより、感心したのはウォルター・デ・マリアやジェームス・タレルの作品。ウォルター・デ・マリアは、ニューメキシコの砂漠の400本の鉄の柱を立て、そこに雷が落ちる様子を鑑賞するインスタレーションが有名。地中美術館のものは、階段状の部屋の真ん中に、2mぐらいの黒の大理石の球が置いてある。周囲に金箔を施した木柱が並んでいる。なんだか神殿のようだ。自然を扱ったインスタレーションからすると、わざとらしい感じがするが、地中、土の中に神殿のようなものを作りたかったのではないだろうか。タレルの作品は、光そのものをアートする人だけに、ダイオートの光の中に、人々が入っていくものにはちょっと驚く。作品の中で、光の色にまさに自分が染まっていく。たくさんの人が彼の色に染まっていったのだろう。オープンスカイと名付けられた部屋は日の光によって、部屋全体の色合いが変わっていくもの。これはじっくり見せてくれないとよく意図がわからない。時間が限られているのが残念。
 地上ではなく、地中。人の目にさらされない空間。そこに穴を掘って、建物を作り、その建物をまた埋めたのだそうだ。これも安藤忠雄地中美術館が丘になっているところを観たかった。
 直島のわたしのお目当ては大竹伸朗

 もともとは歯医者さんの家らしいが、周囲には古いトタンや流木がつけられ、元のイメージはまったくない。中には大きな「自由の女神」の像も見える。家の中は写真撮影ができなかったが、床にはコラージュがたくさん。外から見えた自由の女神が床から2階の天井まで突き抜けていて大きい。コラージュは、わたしは今と昔を結ぶものと思っている。昔、展示されていたもの、昔、家をおおっていたトタン、流れ着いた流木などを組み合わせ、今を表現する。男木島でも、川島猛によるコラージュの傑作に出会うが、大竹のコラージュは、そこに意味を持たせないところがいい。直島には、今回の芸術祭に合わせ、お風呂屋さんを大竹がコラージュしたのがあるのだが、見学者が多く、入浴ができなかった。残念だ。もう一度行きたい。
 外側だけもお楽しみください。