歯は何のためにあるのか

1. 山梨県民は歯を磨かない?
 先日、ある会合で、東京から山梨県にきて開業した歯医者さんから、
山梨県の人は、歯を磨く習慣がないのかしら」
 と驚くような話を聞いた。
 一時期県立病院で働いていたこともある、その歯医者さんは、患者さんの口の中を見ていると、食べカスが口のあちこちに残っていたり、歯ブラシをもう何年も変えていなかったり、東京の人に比べると山梨県民は、口の中はたいへん汚いといいます。
 もちろん、すべての山梨県民ではないでしょうが。
 歯を磨く習慣がないというのは、大げさでしょうが、都会から地方へくると驚くようなことがあります。
 その会合では、介護施設で働いている人たちもいっしょだったのですが、介護施設で口の中をきれいにする口腔ケアはなかなか浸透しないといいます。
 歩くための訓練やひとりでトイレに行くトレーニングがよく行われますが、口の中をきれいにするところまでいかないといいます。
 デイサービスをしているところでは、家族支援が第一で、お年寄りを預かることも家族支援のひとつですが、やはり歩くことができるようになる、介助なしでトイレに行けるようになるといったことが求められているといいます。
 確かに、介護する側にとって、歩くことができる、トイレにひとりで行けることが重要なことはよくわかります。
 しかし、口腔ケアは歯を守るだけでなく、肺炎を予防することに役立ちます。誤嚥性肺炎といいますが、口のなかの細菌が誤って肺に入ってしまい、その細菌が肺で繁殖して肺炎を起こすことがあります。
 ふつう、肺には空気しか入らないのですが、食べものや唾液が肺に入り込むことがあります。健康な人なら、咳をしたりして肺、正確には気道から出すことができますが、高齢になってくると吐きだす力が弱くなってきます。そのために肺にはいってしまい、肺炎を起こすのです。
 この会合には医師いましたが、口腔ケアは非常に大切だといっていました。
 しかし、介護施設では口腔ケアを行うことができる歯科衛生士が常駐しているところは少ないこともあり、進んで取り組んでいないようです。

2. 歯を食べるためだけはない
 歩くことができる、ひとりでトイレに行くことができる。これに加えてきちんと食べることができるということも重要です。
 食事がしっかりとれていれば、介護状態になりにくいというデータもあります。
 しっかり食べるためには、歯を欠かせません。
 8020運動は、80歳になっても歯が20本残っていると、しっかり噛むことができるから、歯を守って残しましょうという運動です。
 口の中に20本歯が残っていると、かろうじて噛むことができるのだそうです。
 自前の歯を残すことがいちばん重要ですが、もし入れ歯になったとしても定期的に点検して、つねに噛めるようになっていなければ意味がありません。
 歯を残すには、自分でできることは歯を磨くことです。しかも、きちんと。歯を磨く方法が、歯科衛生士がよく知っています。効率よく、的確に磨く方法を、歯科衛生士に教わっておくことです。
 しかし、歯を食べるだけのためにあるのではありません。
 入れ歯が合わないために、話している内容が伝わらない、うまく話せないということがあります。
 その結果、話すことをあきらめてしまう人もいます。
 話すことは、コミュニケーションの基本です。人との交わりが減っていき、ボケてしまうこともあります。
 わたしが親しい歯学部の教授は、「人は口のために生きている」といい切ります。
 口、歯が生きることと密接に関係しているから、口を大切にすることが生きることだというのです。
 わたしたちは、歯をあまり重要だと思っていません。
 歯医者さんに行くのは歯が痛くなってからで、歯を守るために歯医者さんはいかないよというでしょう。歯がなくなったら入れ歯を入れればいいと思っているでしょう。
 もっと歯の大切さに気づいてほしい。
 歯は失ったら生えてきません。歯はからだのなかの重要な臓器なのです。食べるだけでなく、話すこととも関係しているからです。
 以前、訪問歯科治療を積極的に行っている歯科医師の活動をビデオを見ました。
 ある地方都市に保健施設ができあがりました。
 その開設の講演を頼まれた歯科医師は、自分を呼んでくれた人に出会います。脳梗塞を起こして車椅子に乗っていた開催者のひとりは、入れ歯が合わないので話せないと訴えます。
 その場で入れ歯を調節し、入れ歯を入れてもらいます。
 保健施設の開業に深くかかわってきた彼は、開業の式でとうとうと話します。
 入れ歯が合わないともぐもぐ話していたときは、何をいっているのかわからなかったのですが、式では保健施設がどのように生まれたのかを理路整然に話します。
 彼は話したかったのです。話してコミュニケーションをとりたかったのです。
 いままでもごもごいっていた人は、突然話だす。突然ではなく、入れ歯を会うように直してもらっただけで話しだす。
 このビデオを見て感動しました。歯科医師の働きはもちろんですが、話せるようになることがこんなすばらしいことだと思ってもみませんでした。
 ふだんから話すことができると、話すことの大切さを忘れているのです。
 歯を守るために、歯科衛生士にもっと活躍してもらいたいものです。