老人は内科より歯科にお金をかけなさい
1. 真珠王御木本幸吉氏の言葉から
御木本幸吉氏といえば、真珠の養殖に成功し、世界のミキモトとしてよく知られています。
御木本氏は、安政5年(1858年)に生まれ、昭和29年(1954年)に亡くなっていますから、96歳の長寿をまっとうされました。
亡くなるまで、真珠の養殖を天職とし、生き抜いたようです。生涯現役をこころざし、目標としたのは日本資本主義の父といわれる渋沢栄一氏でした。
渋沢栄一氏は、幕臣として徳川慶喜に仕える一方で、将軍の名大としてフランスで開かれた万国博に行った慶喜の弟に随行し、ヨーロッパ各国を歴訪し、株式会社制度などを学び、日本ではじめて株式会社を設立しています。明治政府の官僚を経て、第一国立銀行のほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績など、多種多様の企業の設立に関わっています。その数は500以上といわれています。渋沢氏は、91歳で亡くなっています。
渋沢氏のように、活躍するには、健康であることが非常に重要と考えたようです。
もともと歯があまり丈夫でなかった御木本氏は、入れ歯を常にメンテナンスをしていたようです。
そして、「老人は、金を内科より歯科にかけよ」といっています。
歯は、健康のもとと思っていたようです。
いい入れ歯をつくったところ、弱かった胃腸も丈夫になり、歯の重要性を強く感じたようです。
歯の大切さをこれほどストレートにいった言葉はありません。しかも、世界のミキモトの言です。
真珠といっしょに、この言葉が広まっていくといいと思います。
2. ひとくち60回も噛んでいた
ところで、100歳を過ぎてもお元気な人たちに共通することがあります。
それはよく噛むことです。冒険家三浦雄一郎さんのお父上、三浦敬三さんは総入れ歯でしたが、ひとくち60回を噛むようにしていました。
三浦敬三さんは、100歳を過ぎてもおひとりで暮らしていました。献立を考え、買いものに行き、料理を自分でつくっていました。
よくつくっていた料理に、鶏の丸炊きがあります。内臓を抜いた鶏を1羽、丸ごと圧力鍋で煮ます。煮上がった鶏は、骨まで60回噛んで食べていました。圧力鍋で煮て柔らかくなったとしても、骨を食べるために、入れ歯がずいぶんをしっかりしたのでしょうが、噛むことを日課にしていたからできることです。
入れ歯は、親しい歯科医の方に、きちんとメンテンスをしてもらっていました。入れ歯でも、メンテナンスがしっかりしていれば、ひとくち60回も噛めるのです。
障害を持った子どもたちのために学校(しいのみ学校)をつくり、100歳を過ぎてもいまでも現役の教育者の磤地三郎さんも噛むことを日課にしています。
ひとくち30回噛むことが基本で、少々噛みごたえのある肉なら40回、50回は噛みます。うどんでも30回噛むといいますから、これはすごい。
ご兄弟もみなさん長生きされているようですが、集まって食事をすると、食べ終わるまでずいぶん時間がかかるそうです。
噛む人がどうして長生きできるのでしょうか。
当たり前ですが、歯で噛みます。歯で噛んだ刺激は、歯茎(歯根膜)を介して三叉神経を通して、脳に伝わります。何かを考えたり、音楽を聴いたり、いろいろ脳は働きますが、物理的に刺激することはあまりできません。噛むのは、数少ない脳の物理的刺激なのです。
脳への刺激、噛むことを実践しましょう。
最 近テレビで紹介されていましたが、噛む刺激は脳の線条体という部分を刺激してやる気を出すそうです。
とにかく噛みましょう。