消せない火

1. 大八車を動かせる日
江戸時代の江戸の話です。よく時代劇を見てますと、大八車という二輪車が登場します。わらで包んだ荷物などを運んでいます。そうした場面をよく見かけます。
あれは、間違いです。じつは大八車のような往来をふさいでわがもの顔を走るものは、動かせる日が限られていたそうです。大八車が動かせる日というのが決まっていて、その日しか動かせない。しょっちゅう大八車が走ることはありませんでした。
ふだん、往来を大八車は動いていなかった。
というのも、あれによってお子さんが轢かれたり、お年寄りが怪我するというので、それを防いでいたんです。
大八車ではないですが、わたしたちの乗っている車は確かに便利ですが、人が動かすものですから、事故を起こします。人に怪我をさせたり、ものを傷つけたり、場合によっては人殺しの道具にもなってしまいます。最近の車はずいぶん進化して、事故を未然に防いでくれるものもありますが。
江戸の人は、大八車で事故を起こることを知っていたので、規制していたのです。
自分の力では、制御できないものはその動きを前もって規制しておく。これが知恵です。

2. その火は消せますか
そこで、話は現代に。マッチやろうそくの火はふっと吹き消すことができます。台所のコンロの火もスイッチ一つで消すことができます。
もう少し大きくなって、焚火の火も水をかけて消すことができます。
家が火事になっても、ずっと燃え続けることはありません。消防車がやってきて消してくれます。
化学工場の火災も怖いですが、科学消火剤などで、これも消すことができます。
油田の火災もいまの技術なら消すことができます。
山火事だっていずれおさまってくれます。
わたしたちの身のまわりにある火は、わたしたちが消すことができます。
ところが、原子力という火はわたしたちの手で消すことができません。
何やらずっと水をかけ続ける、冷やし続けることをしていないといけないのだそうです。
わたしたちの手で消せない火は持ってはいけません。
大八車ではないですが、危険がわかっているなら、前もって手を打っておく必要があります。
その打つ手がないのに、手を出してはいけなかった。
火を使うのは、わたしたち人類だけだそうです。
確かに便利なものですが、その火は少なくともわたしたちの手で消せるものでなければいけません。
人類の知恵を絞っても、消せない火は持ってはいけない。
そんなことを思っています。