健康雑誌の黎明期

編集者としてのスタートは『壮快』の創刊だった。
3年間の銀行員生活に見切りをつけ、編集者になろうと思った。当時、カミさんが講談社で働いていて、その上司が『壮快』の創刊編集長を紹介してくれ、編集部に入った。
右も左もわからないまま、雑誌の創刊というすさまじい現場で編集者稼業がはじまった。
38年以上も前の話である。
健康雑誌といわれるジャンルはなく、『壮快』が日本ではじめてである。
健康な人を対象に健康情報を送るというのがコンセプト。
病人に病気の情報を送る、これは誰もが思いつく。病気について情報をもつことは病人には不可欠かもしれない。誰もがそう思わないかもしれないが、病気に関する情報は必要である。
しかし、とりたてて病気でない人に、健康情報を送ろうと思いついたのはすごい。
いまのように、テレビや新聞で健康情報がひんぱんに流される時代でなかったのだから、本当に画期的といってもいいだろう。
医療健康情報の持ち主は、医師や看護婦(当時)だけだった。
それに風穴を開けたのだ。これも大きな功績だと思う。
 医療健康情報を発信するにあたり、誰もが納得する「肩書き」があること、体験談には専門家のコメントを入れること、情報の裏付けをとることなど、いくつかの決めごとがあった。
信頼できる情報を送ろうとしていた。
しかし、「紅茶キノコ」でそれがくつがえっていく。
担当者はわたしだった。