デラシネ

四国の松山と高知に行ってきた。
松山は、正岡子規の生まれたところ。子規記念博物館がある。暦年で子規の人生が紹介されている。
展覧物を見ているうちに、子規と松山とのつながりが乏しいことに気づいた。
人生最大の出来事を東京に出たことといい、妹も母を東京に呼び寄せ暮らしている。
俳句、短歌、小説の仲間と出会い、句会、歌会、山会を開き、俳句や短歌、小説を批評し、楽しんだのも、東京の鶯谷の子規庵である。
子規がもっとも親しんだのは、この子規庵だろう。
生まれところは、その後の人生においてなんらかの影響を与えるが、すべてではない。
子規にとって、故郷松山とはいったいどんなところだったのだろう。
そんな思いをいだきながら、松山を歩いていた。
予讃線で四国を横断していると、車窓から見える瀬戸内海は穏やかで、急峻な山並みも見えず、平らな地形に実りをたたえる田が広がっている。豊かな国という印象がある。
豊かな国には、俳句を楽しむ余裕を感じる。
松山は、俳都という感じで市内電車の中にも俳句を投入する箱が置いてある。俳句箱はいたるところにあった。
これは正岡子規の影響であろう。
松山は、人気もよく、いい街だった。漱石は人気がよくないといっていたようだが。
道後温泉は、寂れた感じがまったくなく、温泉町独特のいかがわしさもなく、古くからある温泉を守っているという雰囲気があり、いい温泉地である。
旅館が結構大きいのだが、道後温泉という中心があるのがいいのだろう。


わたしも横浜の金沢八景で生まれたが、人生の大半は東京で過ごした。
横浜にそれほど強い思いはない。かといって東京にもそれほどの思いはない。
根を持たないデラシネなのだろう。
どこでも暮らせる自信はある。
これがいいことか、悪いことか、わからないが。