毎日楽しむこと

人それぞれに楽しいことがあるでしょう。
正岡子規は、『仰臥漫録』の中で、理屈をこえた楽しみは、まことに日々の日常の中で感じよ、と述べています。
日常の楽しさ、日常の美しさこそ、正岡子規の俳句の世界です。
わたしもそう思います。わたしは正岡子規が好きで、それで子規が生まれた松山までいったくらいですから。


わたしが日常で楽しいこと。いったい何だろう。
音楽を聴くこと。確かに、音楽を聴くのは、好きですね。
原稿を書いているときは、常に音楽が流れています。でも、原稿を書いているときは、聞き流している感じです。
音楽としっかり向き合うのは、やはり生の演奏ですね。ジャズに関して、野外コンサートに行ったこともありますし、コンサートによく行きました。ジャズクラブの会員でした。
ジャズに限りませんが、音楽はクラシックも好きですし、ポピュラー音楽も好きです。
音楽と同じぐらい好きなのは、本を読むこと。
横浜伊勢佐木町有隣堂という大きな書店があって、そこに行って本を買ってもらうのが何より楽しみでした。
しょっちゅう本を買ってもらえないので、学校の図書館をよく利用しました。
中学、高校も学校の図書館の常連でした。どんな本を入れてほしいかと聞かれたこともあります。


こちらに越してきて、興味を持ったのが現代アートですね。
絵はもともと好きで、美術館にもよく行きます。
父はサラリーマンだったのですが、若いときは書家で、帝展に入選したことがあるといっていました。書家では食べられず、それに戦争もあってサラリーマンになったのですが、実家にはそんな父の書が残っています。晩年は、書だけでなく、篆刻、墨絵にも凝って、そんなものがたくさんありました。
子どものころから、美術館には連れて行かれました。
わたしが30代のころ、友人に茶の美術展に誘われ、すばらしい茶道具を見たのですが、曜変天目茶碗という国宝の茶碗があるのですが、生前の父にその茶碗を見たことがあるような気がするといったら、子どものときに見せたといわれました。
そんなわけで、アートには興味があったのですが、こちらに越してきてある現代アートの制作者に出会ったのです。


本杉琉さん。絵だけでなく、段ボールを使った人形、さまざまなオブジェをつくる人で、また、話をしていてとても楽しい。
わたしが気負いなく話せる人のひとりです。気負いなく話せるというは、わたしには重要なことで、構えて話をする癖があるのですが、彼と話していると、ふつうに話せるのです。
彼の作品はリビングルームにも書斎にもあります。
東京麻布で個展をしたときも応援に行きましたが、久しぶりに甲府の県立美術館の前にある三彩洞というギャラリーで個展をします。
どんな作品に出会えるか、楽しみなんです。
彼の作品をもっているといいましたが、好きなアート作品を身近に置いて、それを楽しむこともいいですね。