朝の読書を習慣に

朝にまつわる原稿を書いています。
いろいろ調べていて、たいへん興味深い記事に出会いましたので、ご紹介します。


朝に本を読もうという運動があるのをご存じでしょうか。
現在朝に読書をしている小学校、中学校、高校と合わせると、日本全国の学校で27217校(2012年3月)もあります。
この朝の読書運動は、朝の読書推進協議会理事長の大塚笑子氏が、1988年に当時勤務していた高校の同僚が提唱した朝の読書に感銘し、自分のクラスではじめたことがきっかけです。
それまで遅刻も多く、朝のホームルームはできていなかったと大塚先生は述懐します。ところが、朝の読書運動をはじめると遅刻も欠席もなくなったのです。
朝の読書運動は、みんなでやる、毎日やる、好きな本でいい、ただ読むだけが基本です。
みんなでいっせいに本を読みます。最初、画一的でないかという批判もあったようですが、どんな本を読むかは強制しない。どんな本を読んでもいい。本を読むだけで、読後感を求めるとか教育に利用しようとはしなかったことが生徒たちもやる気になり、それはいまでも続き、全国にも広がっていくようになりました。
ちなみに、本に漫画や雑誌は入れません。マンガや雑誌を家や学校で見る機会が多いので外すのだそうです。
朝の読書運動は、子どもたちに落ち着きを取り戻させました。子どもたちも親子、友人関係、さらには教師と軋轢、成績や入試のことなど、さまざまな不安や悩み、焦燥をかかえています。
大塚先生は、本を読むことで感動したり、癒されたりして、子どもたちのイライラがおさまり、心もおだやかになったといいます。つらいときにこそ本を読みなさいといってきたようですが、それがずいぶんと救いになりました。
心理学者河合隼雄先生は、この朝の読書運動を評して、
「読書は実に大切である。最近のIT革命により、人間は自分の欲する情報は簡単に得られるようになった。ところがそれは『報』だけで『情』が抜けてしまうことが多い。
 それに比して、読書は書き手の『情』も込みで、生き方全体が伝わってくるよさがある。そして、読み手も自分の好みに応じて、早く読んだり遅く読んだり、自分の主体をそこにかかわらせることができる。
『朝の読書』を考え出した人は実に素晴らしい。読書は大切だが時間がない、などと言う人に、『十分間でも大いに意味がある』とはっきりとわからせることになったからである。わずか十分間の読書によって、子どもたちは自ら考え、自ら感じ、そして自分の読書時間をさらに増やしてゆくのである。
子ども自らが読む本を選べるのもいい。十分間という枠だけ与え、そのなかで子どもは自由や自主性を体験するのである。人間は感動したり、感心したりしたことは確かに話したくなるものだ。十分間の読書は、子どもたちお互いの間の、そして、子どもと大人の間の意味深い対話に発展しているはずである。
切り売りの知識や、外から押しつけられたものはすぐ消え去ってしまう。しかし、自らの力で獲得したものは長く残り、その人の人格形成に大いに役立つのである。この運動のさらなる発展に期待している」
と述べています。
2003年の新聞記事ですが、高校生たちが読んでいる本を紹介すると、将来NGO(非政府団体)の活動に参加したいという女子高校生は、アフガニスタンの干ばつに挑む中村哲さんの著書「医者 井戸を掘る」。家族の大切さを実感したいという高校生は、キャムロン・ライトの「エミリーへの手紙」、『ココアのように心がほっとします。ぜひお薦め!』と笑いながらいいます。車いすで通学する高校生は、障害をバネにたくましく生きる乙武洋匡さんの「五体不満足」。さらに、ダイオキシン汚染や地球温暖化が心配という高校生は環境問題の名著、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」。それぞれ自分たちの興味や進路に沿った本選びをしています。
短い時間でもその時間の中で考え、感じることの重要性を指摘されています。この時間を積み重ねていくことが重要なのです。
朝の時間は短いが、短くても意味のあるものにできるのです。
わたしたちも、学生ではなくなりましたが、朝の時間に読書をすることを習慣にしてみませんか。