時代の変化に人はついていけるのか

三谷幸喜翻案・演出の『桜の園』を見てきた。東京、大阪、神奈川とめぐってきた大千秋楽日。
桜の園』は1904年に初演されている。当時のロシアの状況は、1861年に農奴解放が行われ、生活がゆるやかに向上しているが、封建体制に対する不満も高まりつつあった。貴族がその地盤を失い、大きな時代のうねりは見えてきたころである。1905年には、戦艦ポチョムキンで反乱があり、1917年にロシア革命が起こる。
こうした時代に相変わらずの生活を営もうとしている貴族、農奴から這い上がり金持ちになったかつての下男がその貴族の土地を購入しようとしている。
農奴出身の男が、女主人に「桜の園を手放さなければいけなくなっていますが、どうしますか」というだけの話(ロパーヒン役市川しんぺー氏の言葉より『桜の園』のパンフレット)。たいへんな時代になってきているのに、それを認めない、認められない女主人やその兄、時代の変遷に敏感だが現実を知らない娘、土地を買う金持ちにも女主人に対して思いがあり、気持ちは複雑。大きな時代の変化の中で、人々は新しい生き方を身につけることができない。
終幕で、召使が「未熟だ」というが、これがそのままあてはまる。
こうした状況そのものを見つめ、チェーホフは『喜劇』といいたかったのだろう。
三谷の演出は、本来、四幕の内一幕と四幕は子ども部屋、二幕が屋外、三幕が客間なのだが、それをすべて子ども部屋にしている。主人公が子どもだということを暗示しているのだろう。これがじつによかった。
主役を演じる浅丘ルリ子農奴出身の金持ちを演じる市川しんぺーなど、みな適材適所。
個人的には召使役の江幡高志がよかった。ぶつぶつ何かをいっているのだが、それはよくわからない。しかし、この人物が結局いちばんよく知っていることになっている。そして、最後の台詞になる。
時代の終焉を迎え、人々はどこに行こうとしているのか。同じようなことを再びくり返そうとしているのか。そんなことを考えてしまった。
観劇は、正月の文楽以来だったが、やはり生はいい。おもしろかった。