山が教えてくれること

 横岳から硫黄岳、縦走路  朝焼けの富士
8月も今日で終わり、八ヶ岳南麓ではあちこちに秋の気配がみられる。空には入道雲の代わりにうろこ雲が現れ、紅葉しはじめている木々もある。短い夏が終わっていく。
ブログで山登りを再開したと書いたが、先日八ヶ岳の主峰、赤岳(2899m)を登頂し、さらに横岳(2829m)、硫黄岳(2760m)と八ヶ岳を縦走してきた。
山登りを再開したとはいえ、北アルプスの燕岳を先月登り、今月には3000m級の山々を巡るとは想像していなかった。燕岳を案内してくれた友人に、いずれは八ヶ岳の赤岳を登ってみたいといったら、天候が安定している8月の下旬に行きましょうといわれ、行くことになった。友人は、夏はもちろん、冬の八ヶ岳にも何度も登頂している。正直いって、赤岳に登ってみたいといったものの、登れるかなと少々不安だった。しかし、いいだした手前、あとに引くわけにはいかない。
じつは、山登りのためにザックを新調した。燕岳は友人のザックを借りていったが、その機能性に驚いた。いままで持っていたザックにくらべ、重さは半分以下だし、小物を入れるところなど工夫がたくさんされている。ストックも購入した。
山道具もそろい、用意が十分でないのはからだと気持ちだけ。その気持ちのほうが優先し、思わず口走ってしまったのである。
そんなわけで、赤岳頂上の小屋に一泊し、翌日は八ヶ岳を縦走することになった。行程や時間などは、山のベテランにまかせ、彼のペースに自分のからだをあわせて登る。というより、わたしたちのからだに彼がペースを合わせてくれた。
山登りをレポートすることが目的ではないので、山を登りながら思いついたことなどを記す。
わたしの場合、山を登っているとき、目の前の山道を見ながらほとんど何も考えずに、一歩一歩を踏み出していく。急な登りには鉄製の階段や鎖が必ずついている。鎖につかまりつつ、しかしできるだけ自分の手足を使い登っていく。手すりや鎖が完全でない場合もあると知らされ、自分で自分の身を守るには手足を駆使するしかない。
そのうちに時間がたち、麓から見上げるばかりだった山頂に達する。数時間という時間がたっているが、目的を達することができる。目指していた頂上が自分の足元にある。これがなんともいえない。
登ろうと思わなければ、一歩踏み出すことをしなければ、この達成感は絶対に手に入らない。頂上に着くと感じるのは、この思いである。
いっしょに登った友人が、「前に行くしかない」といっていたが、まさにその言葉通り。前に行くことの大切さを山登りは実感させてくれる。
山には、足元を見ると深い谷が口をあけている怖いところもある。
その友人は、「戻ってもう一度怖いところを通るより、未知のほうが怖くない」といっていた。これから起こることを恐れて、後戻りするより前進したほうがいいと山は教えてくれる。もちろん、体力や天候など、挑戦できる条件が整っているから、そういえるのだが。
ひとりで山を行く人を何人も見かけたが、わたしは仲間といっしょに登りたい。感動を分け合いたいし、歩きながら人の話を聞くのも好きだ。山に入ると、みな少し哲学者のようになる。「がんばっているのは自分だけでない」という名言も友人がいった。まさにその通り。ちなみにこの友人がわたしより年下の女性である。
みなさん山に行くといいことがある、ぜひ、と。