尊厳死宣言を知っていますか(週刊文春に寄稿しました)

8月1日発売の週刊文春尊厳死宣言に関して寄稿した。
以下の原稿は反映しなかったが、知ってもらいたいことなので、ここで紹介する。


名古屋大学医学部付属病院老年科では、入院する患者に救命救急処置についてのパンフレットを渡しているが、その「はじめに」は次のように書かれている。
「誰でも自分の最期につらい思いをしたいと思いませんがコミュニケーション(意思疎通)能力や判断能力が低下したり欠如した状況では、延命治療を拒否しようと伝えることができなくなります」
そうならないためにも、延命・救命処置に関して十分に理解して、本人、家族で話し合っていただきたいと述べられている。そのうえで延命・救命処置に関する、患者の希望を表明する書面を病院側が用意してあるという。
ここで、救命救急処置にどんなものがあるか。代表的な心肺蘇生や人工呼吸療法(気管内挿管)について知っておこう。
心肺蘇生だが、マスクによる強制換気を行いながら心臓マッサージにより、血液の循環を維持したり、強心薬を投与したりする。また、場合によって電気的除細動器で電気を流しショックを与える。電気的除細動器とは、最近よく見かけるAEDといわれるもの。
心臓マッサージによって胸骨・ろっ骨を折れることがある。また、心拍が再開しても心停止・呼吸停止の時間が長かった場合には脳が障害と受け、いわゆる脳死植物状態となる可能性がある。AEDではやけどすることがあるという危険性が紹介されている。
ペースメーカーを入れている友人から、AEDを当てられ、やけどをしたと聞いた。そのときは意識がなく、助かったのでよかったといいながら、そういうこともあると知ってもらいたいといっていた。
人工呼吸法(気管内挿管)は、口もしくは鼻からプラスティックのチューブを気管の中に挿入し、人工呼吸器を使って高濃度の酸素を肺の中に送り込んで呼吸を補助する方法である。肺炎や心不全などにより、呼吸機能が不十分な状態にある場合、酸素不足になり、生命の危険があり、これを防ぐために行われる。
気管に管が入っているために、話すことがむずかしくなる。ボードを使えばコミュニケーションができるが、話すことはできないと思ったほうがいい。
日本で最年少のホスピス医(当時)と話題になり、その後も緩和ケア医療を中心に行い、終末期医療にくわしい東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンターの大津秀一医師は、
「人工呼吸器は装着される側は楽ではありません」
という。
気管に挿管すること自体が苦しく、鎮静剤の使用なくしてはできない。人工呼吸器がつながっても苦しいので鎮静剤がずっと使われる。鎮静剤は呼べば起きる程度の濃度に設定しなければならない。これが意外とむずかしく、濃度が濃いと寝たままになり、薄いと苦痛が続く。ボードを使って、意思の疎通をはかるが、これも慣れないと患者に大きなストレスとなる。
そして、挿管していると管の圧力で気道がむくんでくるために、長期間の挿管ができなくなり、のど(気管)が切開され、そこから直接酸素を送り込むことになる。
自発呼吸ができるようになれば、人工呼吸器をはずすことができるが、自発呼吸ができないと人工呼吸器は亡くなるまでつけたままになる。その間、話をすることはまったくできない。
「問題なのは、人工呼吸器をつけるかどうかは、具合の悪い患者さんには意思表示ができないため、ほとんどの場合、家族と医師で決定しなければいけないことです」(大津医師)
医師が人工呼吸器をはずし、安楽死を行ったと問題になった事件を覚えている人もいるだろう。このことをきっかけに、延命治療の中止に関する指針が出されたが、人工呼吸器をつけましょうかといわれたときに、答えを前もって用意しておく必要がある。
これが尊厳死宣言が必要になる理由のひとつである。
ただし、尊厳死宣言をしたとしても、状況によって撤回が必要と思ったときには、撤回ができることも忘れていけない。
くわしくは週刊文春を。

近著『歯は磨くだけでいいのか』もよろしく。