古屋先生の講演を聞いて(家人の感想ですが)

昨日は、夫の最期をみとってくれると言っている、勉強会で知り合った牧丘病院の院長古屋聡先生の講演があるというので出かけた。
地域医療のリーダー的存在で、いつもトレーナーやTシャツスタイルで、どこのお兄さん(?)おじさん(?)といったふうだけど、山梨県のあちこちで訪問診療に飛び回っているし、今でも月二回東北の被災地に診療応援に行っているというパワフルな人。
「僕と母」というタイトルで、認知症の家族の会の講演会だった。
気楽に、自分の生い立ちや医師になった経過、育った家庭の話をしていたけど、離れて住んでいる老いてきた両親の話になって、実家に帰るたびに息子のために食べ物を用意し、寒い思いをしていないか気を使ってきた母親が、だんだん食べ物を自分でそろえられなくなり、一緒に暮らす父親さえもときどきわからなくなるような状態になってきたという。
母親は貧しい家庭に育ち、青年団で知り合った父親と知り合って、結婚したけれど、あまり働かない舅に変わって姑が一家を取り仕切っている家に入って、姑が亡くなるまで、家計は姑に握られ、実家に里帰りも満足にさせてもらえない状態でずっと苦労して息子と娘を育てた人だった。医者になったできのいい息子が誇りで、息子にしっかり食べさせること、暖かく過ごせるようにすることだけに心を砕いてきた人が、厳しかった両親を送って、息子や娘をひとり立ちさせてやるべきことを失ってウツになったこと。医師としてそれを支えつつやってきたけれど、母親がいちばんしたかった息子や孫の世話を十分にさせてあげられなかったことを残念に思っていること。
そして、はたしてお母さんの人生は幸せだったのかと思うこともあったという。
ところが、最近、一緒に暮らしている、目の前にいるお父さんのこともよくわからなくなっているのに、お父さんがいかに立派で、素晴らしい人かと息子である彼に熱く語るのを聞いて、「ああ、お母さんはお父さんを愛していたんだなあ」とわかって、すごくうれしかった。少しずつお母さんが昔に戻っていって、自分の知らないお母さんの若いころや子どものころの顔を見せてくれるんじゃないかと思うとちょっと楽しみだという。
なんだか楽しい発見のように笑顔で話す古屋先生を見ていたら、涙が出た。先生の人柄がにじみ出た話だった。別に感動的に話されたわけでもないし、盛り上げるような演出もなにもなく、淡々と、明るく話されたので、笑って聞いていたのに、涙が出て困った。きっとお母さんは素朴な人で、黙って夫に仕え、子どもたちに愛情を降り注いできた人だったんだろうな。そんな愛に包まれて、古屋先生という人は暖かい人に育ったんだなあ。だから、ボケて行く母親をこんな温かい目で見守ることができるんだなあと。
認知症になった家族を抱えている人は、そんなきれいごとというのかもしれないけど、ボケてしまった母や父にもそれぞれの人生があって、それを子どもが、自分の母親や父親としてだけ見るのではなく、ひとりの人としてみたら、また違った受け取り方ができるのではないかという話にも思えた。
やっぱり、どう生きたか、どういう関係を築いてきたかが、人生の最後には出てくるなあと思うと、しっかり今日を生きないとねと思う。
かっこつけるところも、えらそうなところも、人に認められたいという欲もなく、ひょうひょうと、いろんな活動に駆け回る古屋聡という人は本当にすごい!
控室に夫とたずねて、すごくよかったと伝えたら、「前ふりが長過ぎて、肝心の話がかけ足になっちゃって。でも、自分の話をしたのは初めてだったから」と、頭をかいていた。かわいい。

ここまでが家人の感想です。
わたしは、家族のありようについて考えさせられました。
人として大事なことがしっかり伝わっているからこそ、古屋先生は両親に思いがあるのだと。
わたしも伝えておかなければ、いけないな。