徘徊老人の事故を防ぐために

NHKスペシャルの「認知症“800万人”時代行方不明者1万人」という番組で、徘徊の結果、群馬県館林で保護され、介護施設に入所していた女性が紹介されていた。その女性の身元がわかり、夫と7年ぶりの再会を果たした。テレビ画面から見ると、かなり認知症が進行し、ほぼ寝たきりの状態で自ら口を聞くことができなくなっている。

もっと早く見つかっていれば、認知症の進行を抑えられたかもしれない。家族ならではの会話も可能だろうし、家族しかできない『刺激』を与えることもできたはず。「もっと早く見つかっていれば、もっとできることがあったに違いない」といった夫の言葉はじつに重い。

この女性の場合、自宅があったのは東京浅草で、見つかったのは群馬県の館林である。電車で移動したのだろうが、それこそまったく見知らぬ場所で迷子になったわけだから、彼女自身もずいぶんと心細かったに違いない。

着ていた衣類から、苗字はわかったが、正しい名前は確認できなかったという。この時点での警察に行方不明情報を取り扱い方に問題があるが、家族としてできることは、徘徊をくり返すようになったら、認知症で徘徊する可能性があることを警察などに届け、姓名、住所、からだの特徴などを知らせておくことだ。なんらかのからだの特徴はあると思う。からだの特徴は変化しないから、重要だ。
これらを登録しておけば、検索も可能になる。これだけインターネットが普及しているのだから、むずかしくはないだろう。

問題は、徘徊してしまう人に、どのくらいの情報を持たせていいのかという話である。姓名、住所、電話番号などを持たせると、これが犯罪の原因となることも考えられる。
わたしの友人が、情報チップのようものをからだに組み込むのはどうかといっていた。映画で、記憶喪失になった主人公が自身のからだに埋め込んだ情報チップを読みとって、自身を取り戻そうとするものがあったが、これも可能だろう。
しかし、情報チップを埋め込むのは、少しやりすぎの感じがあるが、正確な姓名を、下着などの目立たないところに記しておくことをお勧めしたい。

<追記>
認知症はかつて痴呆症といわれていた。ボケといういい方もある。
「あの人、すっかりボケちゃって」というように、少し馬鹿にした感じがある。これはいまでもある。これが、認知症を隠す背景になっている。
その結果、認知症を早めに治療したり、認知症であることを隠さずに人の協力を求めるたりすることの大きなさまたげになっているのではないだろうか。
認知症は、誰もがかかる病気であり、珍しいことでもなく、もちろん恥ずかしいことでもない。
人から尊敬もされ、学識が豊かな人でも、認知症になる。
認知症に関する認識がもっと変わっていかなければいけない。