「下山の思想」なのか

日本百名山』をはじめ、山を紹介するテレビ番組を見ていていつも気になるのが、目指す頂上までの山行は紹介するが、頂上をきわめた後の下山がどのように行われたのかである。
登った道を下ったのか、それとも違う道を選んだのか。

先日、千頭星山(標高2138m)に登った。千頭星山の登山口になっている甘利山まではその頂上直下まで車で行けるので、そこからの山行となる。
甘利山の頂上から下り、奥甘利山を経て千頭星山へ至る。
そこからさらに、鳳凰三山を目指すこともできる。
多少上り下りはあるが尾根伝いなので、山道も整備され、歩きやすい。天気が良ければ南アルプスの光景が美しい。

わたしたちは、千頭星山から下山をしたが、登ったときと同じ道を折り返した。
夏山独特の靄につつまれ、直射日光を浴びずに下りることができたが、かなりの急坂を上ってきたことがわかった。
時間をかけ、体力も使い、登ってきた道を再び戻る。
登ってきたときには気づかなかった景色を見ることになる。
登っているときには見えなかった景色を見たり、自分が歩いてきた道を戻ることで、自らの『道』を確認することになった。
過去を振り返る、といえば、簡単なことからもしれないが、これが下山の思想なのか。

人生を振り返る。いま老境を迎え、これがわたしに求められていることだ。
新しい道を探し、そこを行くことも考えられるが、それほど若くないとすれば、じっくりと振り返ることが必要なのではないだろうか。

今回書いた『自宅で死にたい』という本も、人生を下りはじめた下山の思想なのかもしれない。