『自宅で死にたい』が紹介されました

尊敬する医療ジャーナリスト丸山寛之さんが
拙書『自宅で死にたい』を抄録してくれました。
わたしがいいたかったことが、的確に紹介されています。
全文を転載させていただきます。 


猛暑の午後、1冊の本を読んだ。
 蒲谷茂著『自宅で死にたい しあわせな最期の研究』(パジリコ株式会社=1500円+税)。
 ああ、これは他人事ではないぞと思った。がん二つ(一つはまだ残存)、おまけにミンツン(全聾を意味する屋久島語。ミン=耳)の身には、緊急かつ最大の関心事である。
 ◎病院で死ねなくなる
「わたしは覚悟した。
 自宅で死のう。
 最期は、自分の思うように。」
 詩句のようなことばを冒頭に置いた第1章では、その「覚悟」の理由、目前に迫っている「病院で死ねなくなるという現実」が、いくつものデータを挙げて示される。
 東京五輪が開かれる2020年は、団塊の世代が、75歳=後期高齢者の仲間に入り始める年である。超高齢社会は「多死社会」、年ごとにふえつづける要介護者と死者は、病院だけでは到底受け止められない。
団塊の世代は、病院では死ねない。これは喜ばしいことでもある。病院は病気を治し、社会に戻るための病人のものであり、死に場所ではないからだ。」
「現実は少しずつだが、変わってきている。
 在宅医療を志す医師がふえてきていること、病院でも在宅医療を行っているところがふえてきていること、介護スタッフのサービス内容も変わってきていることなど、まわりの状況にだいぶ変化が見られる。
 家族の了解が得られれば、自宅で死ぬことはむずかしくなくなってきている。」
「本人の意思が強ければ、自宅で療養し、そして亡くなることもできる。
 胸を張って、家で死ぬぞ、といえばいい。
 そう考えれば、ずいぶんと元気づけられるではないか。」
 ◎自然に帰るような静かな死
 第2章では「身近な死からの学び」が語られる。
「同居した義父」「両親」「親しい友人」の生と死を振り返るていねいな叙述には、やさしさがあふれている。
 とりわけ、93歳で亡くなった岳父の「自然に帰るような静かな死」は、このうえない理想の死のように思われる。
 (岳父は)会社役員退職後は、2年に1度個展を開くほど油絵に熱中し、肉も野菜もよく食べ、うなぎ大好きの健啖家だった。
 亡くなる3ヵ月前、心身の不調(軽度の認知症胃潰瘍、背骨の圧迫骨折)がみられ、地域医療を担う病院に入院。最良の治療・リハビリにより日常生活がいちおう送れるまで回復し、退院した。
 自宅に戻って3日間─。
 夜は、ビールを少量飲み、好きなものを食べ、食後を和やかに過ごした。むかし将棋をした思い出を話し、「何度挑戦してもわたしは1回も勝てなかったのです」というと、とてもうれしそうに笑った。
 翌日、朝の食卓で食欲がないといい、みそ汁に口をつけただけで箸をおいた。自分の部屋に戻り、容態急変、救急車で運ばれた病院で死亡が確認された。
 家族のみで営んだ葬儀のあと、あの夜の笑顔が目に浮かび、いっしょに暮らした日々が頭の中をめぐり、仕事部屋で泣いているところを、娘に見られてしまった。
「娘は、ボロボロと涙を流しているわたしを見て、思わず駆け寄ってくれた。そして、わたしを尊敬するといってくれた。」
 ◎いちばん重要、本人の意思
「死について思うこと」と題された第3章では、持病(慢性腎臓病)があるところへ超音波検査でがん(尿管がん)が疑われる。「おれは死ぬんだな」と、死について真剣に考える。
「(泌尿器科の)精密検査を受けるまでの1ヵ月間、わたしが死んだら、死ぬときはどのようにしたいか、カミさんとひんぱんに話し合った。
 尿管がんは手術そのものがかなり大がかりになり、それだけからだの負担が大きい。すでに片方の腎臓が動いていないし、もう片方もだいぶ弱ってきている。大手術に耐えられるかどうかわからない。手術に賭ける、という状況は好まない。
 次に予後がよくない。リンパ節に転移していれば再発は避けられない。再発したら、抗がん剤しか治療法はない。余命は延ばせても、完治は望めず、自分らしく暮らすことはできなくなる。
 こうしたことを一つひとつあげて、相談していった。
 そして、尿管のがんとわかったら、手術を受けない。抗がん剤治療を受けない。緩和治療だけは受けながら家で死のう、と決めたのである。」
 延命治療は受けないという意思表示はどうしたらよいか。
 そもそも延命治療とはどのようなものか。
 リビングウィルの勧め。「尊厳死宣言公正証書」作成の手続き。
 自宅で死ぬための最大の障壁─認知症の正体。その予防と発見、対処法...などなど。
 医療ジャーナリストの本領発揮、正確で詳細、親切で平易な記述が展開される。
 ─でも、精密検査の結果、エコーの画像にがんのような影に映ったのは、尿管の一部が外側へ小さくふくらんだ「憩室」とわかった。拍子抜けし、ほっとした。
「しかし、ダメになった腎臓がよみがえるわけではない。もう片方の腎臓も徐々に悪くなってきている。病状は粛々として進行し、わたしは死に近づいている。」
 ◎コロリと逝ってはいけない
 第4章「さらに死について思うこと」では、まず「死はどのように訪れるのか」が説明される。
 死前喘鳴(ゴロゴロゼーゼー呼吸)→下顎呼吸(あご呼吸)→チアノーゼ(血中酸素欠乏のため皮膚が紫色に変わる)。
「こうなると最期は近い。本当に最期になると、大きくため息をついて亡くなる人もいるというし、亡くなったあとで大きな息をすることもあるようだ。」
 医師が行う死亡診断。
 睫毛反射(まつ毛にふれたときまばたき反射が起こるか)→対光反射(瞳孔に光を当てて瞳孔が小さくなるか)→聴診器で心臓の音を聴く→手首の動脈・頸動脈にふれて脈のあるなしを確かめる(病院ならば心電図を確認する)。
「これらの動作をゆっくりと時間をかけて行いなさい、と、研修医は教えられる。
 死は誰にでも訪れる。家族の死を看取ることもあるかもしれない。
 死の確認方法を知っておいても無駄ではない。大切なことだ。」
 次の項目、「痛みは訴えなければわからない」では、がん患者の痛みの9割を解消するという「WHO方式のがん疼痛治療法」の五つの原則、医療用麻酔薬、放射線治療、神経ブロックなどを解説する。
「がんが骨に転移し、それによって神経が圧迫され痛みが生じるとき、そこに放射線を当てて、がんを小さくして痛みをとる。疼痛改善効果は60〜90%。
 画像診断によって、どこにがんが転移していて、どの神経を侵しているかがわかり、放射線を正確に当てることができる。
 放射性物質を静脈に注射する方法や、骨粗鬆症薬で骨折を防ぎ、痛みを予防する方法もある。
 ─略─
 こうしたことが細やかに行われれば、自宅での死も怖くない。
 痛みは絶対に我慢してはいけない。」
 そして論考は、「独居老人」「孤独死」へと進み、「PPK(ピンピンコロリ)」願望風潮に対する否定的考察が提示される。
「死に逝く自分を見つめ、また、死に赴く自分の姿を家族に見せ、死から学ぶ。これが、最期の努めである。
 人として老い、そして死を迎えるにあたり、家族、友人、すべてのものに感謝して死にたい。それこそが人の死というものだろう。
 面倒をかけたなと感謝もせずに、コロリと逝ってはいけない。」
「ピンピンコロリは、虫のいい、身勝手な願いなのではないだろうか」と、鋭く委曲をつくした意見は説得力十分、軽薄なPPK志向が粉砕された。参りました。
 ◎葬儀は形ではない
 第5章は「よい医師とよい医療」。
「相性のいい医師と出会う」ためには、どんな心がけが必要か。
「在宅医療」を受けるには、「医療ソーシャルワーカーの手助け」を得るには、どうしたらいいか。懇切丁寧に教えてくれる。
 そして、葬儀─。
「葬儀は残されたもののためにある。逝ったものの死を悼み、そして認め、記憶に刻む。残されたものが死を納得する。
 ─略─
 残されたものがひとつの区切りをつけることができるように、葬儀は執り行っていいと思う」と述べる著者の、「義父の場合」を抜き書きさせていただく。
「義父の場合、葬儀は家族だけで行った。カミさんの姉妹、その連れ合い、孫にあたるわたしたちの子どもが集まり、自宅で静かに送った。義父は無宗教だったので、僧侶も牧師も呼ばない。家族だけで送り、遺影を囲んで食事をし、葬儀を終えた。
 そして、故人ととくに親しかったかた十数人には、カミさんが、亡くなるまでの事情をくわしく、こころをこめて書いた手紙を差し上げた。遺作展を開くのでそのときに供養してください、と書き添えた。
 葬儀の後しばらくたってから開いた遺作展の案内は、義父に届いていた年賀状の人たちすべてに出した。200枚以上あっただろうか。すると、日本国内だけでなく、海外からも、たくさんの人がきてくれた。自宅の近くにある、森の中の小さなギャラリーは、人であふれるほどだった。
 葬儀ではないのでみな普通の服装で、思い思いに思い出を語ってくれる。遺作展が開かれている期間は、わたしにとってもカミさんにとっても忘れられないときとなった。
 ─略─
 来てくださった人には、飾ってある義父の作品を持ち帰っていただいた。100点以上あった絵はすべてなくなった。」
 ああ、いいなあ! いい家族だなあ! いい人たちだなあ! 
「人は生きてきたように死んでいく」といった人がいるが、ほんとうにそうだ。こういう話を聞くと、つくづくそう思う...。
 ◎死は「自由」なり
 終章の「残された日々」では、「ボケを防ぐには口の健康が大切」「誰もができる健康法」など、「死ぬまで幸せ」で「自宅で穏やかな死を迎える」ためのアドバイスの数々...。
 口を大きく開けていう「パ・タ・カ・ラ」を、早速、本を読みながらやってみた。
 口腔、のどの筋肉が鍛えられ、嚥下力が強くなり、誤嚥を防ぐのに効果的、ということがよくわかった。これを毎日の習慣にする─とくに朝食前にやるといいそうだ。
 ─で、話はいよいよ結末。
 2013年3月、愛媛県松山市で開かれた第15回日本在宅医学会大会で採択された「終末期の医療と介護に関する松山宣言」が、「避けられない死から目を背けず、患者にとっての幸せや生き方に向き合う医療と介護を提供する、医療者の覚悟」として紹介される。
 本書には補足説明をふくむ全文が引かれてあるが、ここには各条項のみを─。
 1 住み慣れた自宅や施設で最期を自然に迎える選択肢があることを提案しよう。
 2 治すことができない病や死にゆく病に、本人や家族が向き合える医療と介護を提供しよう。
 3 本人や家族が生き抜く道筋を自由に選び、自分らしく生きるために、苦しさを緩和し、心地よさを維持できるよう、多面的な医療と介護を提供しよう。
 4 最期まで、本人が自分らしく生ききることができるよう適切な医療と介護を提供し、本人や家族と共に歩んでいこう。
 5 周囲の意見だけで選択肢を決定せず、本人の生き方や希望にしっかりと向き合って今後の方針を選択しよう。
 本大会の参加者は3000名だったという。心ある医療者がふえつづけている証左だろう。
 在宅医療を受けていれば、亡くなるその場に医師が居合わせなくても「異常死」とはならない。死亡診断書を書いてもらえる。
「事件性がないことは医師が証明できますから。医療とは、そもそも医師と患者の契約です。その契約をお互い納得していれば問題ありません。カルテなどから、第三者(警察)も患者さんの状態を知ることはできます」という、在宅医療を行っている医師のことばを紹介して、本書はこう結ばれている。
「どうやら安心して自宅で死ねそうだ。恐れることはない。」
 全篇244ページのこの結語は、読後の感想の結論でもある。
 本を閉じながら、「今夜は久々に一杯やるか」と思った。窓の外はもう夜だった。



長い引用になりました。
『自宅で死にたい』をぜひお読みください。
アマゾンのアドレスを紹介しておきます。
真夏の読書の一冊に。
『自宅で死にたい』http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%AE%85%E3%81%A7%E6%AD%BB%E3%81%AB%E3%81%9F%E3%81%84-%E8%92%B2%E8%B0%B7%E8%8C%82/dp/486238210X