会いたい人に会いに行く

毎年、夏に学生時代の友人が訪ねてくる。
彼は、身近な人の死をきっかけに、会っておきたいと思った人に会いに行くことにしたという。
会えるときに会っておかないと、会う機会を失ってしまう、と思ったらしい。
そこで、年に一度だが神奈川からわたしに会いにくる。
神奈川と山梨はそれほど遠くないし、会おうと思えばいつでも会えるのだが、彼にしてみれば、一年に一度泊りがけでも会いにくるのは特別なことのようだ。わたし以外に、何人かそうした友人がいるらしい。


わたしにも、会っておかなければと思う人が何人かいる。
わたしより高齢で、仕事でもプライベートでもたいへんお世話になった方々である。
会いたい、と思うのだが、彼のようになかなか訪ねようとはしない。
もともとあまり社交的でなく、引っ込み思案な性格がある。
誘われれば、出向いて行くが、自分からはなかなか腰を上げようとしない。我ながら困ったものだ。
『自宅で死にたい』という本は、自身の最期をどのように迎えようとしているかを書いたものだが、座して死を待っているわけではない。残された日々をどのように生きるかということが何より大切だ。
訪ねてくる友人のように、いままでわたしを生かしてくれた恩義に報いるためにも、お世話に方々に会うことをそろそろはじめようか。

自著『自宅で死にたい』をよろしくお願いします。