言葉の楽しさを知る『あざみ通信』

煮えたぎる鍋 方法は二つある
『なつかしい呪文』より
これは倉本朝世さんの句だが、川柳のおもしろさをわたしに教えてくれた。この句をブログで紹介したら、倉本さんご本人から連絡があって、それ以後、わたしは執筆した本を献本したり、倉本(冨上)さんが編集した川柳の本や『あざみ通信』という川柳雑誌をいただいたり、と交流がはじまった。川柳にしても俳句にしても、短い文章の中に、情景、思いなどが見事におさまっている。場合によっては、飛び出していることもあるが。
文章でもあるし、言葉でもある。その強さに、驚く。
短いが深い、やさしいが怖い、鋭いが愉快と書き連ねていったら、限りがない。


さて、今回、お送りいただいた『あざみ通信』13号の中から。



宵闇をじっと待ってる桜守
祝い唄一人生まれて一人死ぬ
大伯母が襖を閉めてゆきました
さくらさくら意識の中で咲くさくら
一片のはなびらとなりさようなら
ほのぼのと灯る私の現在地



すべて西郷かの女さんのもの。
いい句だな、とおもって編集後記を読んでいたら、この7月に亡くなられたとのこと。86歳。闘病生活が長かったとある。そんな生活を微塵も感じさせない。美しい、きりっとした句で、とてもいいと思った。
ものを表現することの、楽しさとたいへんさを教えていただいた。
わたしもきちんと書かねば、と。自戒中。

拙書『自宅で死にたい』をぜひお読みください。