コミュニケーションが穏やかな死につながる道

『自宅で死にたい』を出版した。いままでの本と異なり、自分自身の経験が主の内容だが、いま思っていること、考えていることを書いたつもりである。
すでにはじまっているが、自分の病気との付き合い方、遠からず訪れる死をどのようにとらえているかなどが中心である。
義理の父を自宅で看取ったことがいちばん大きな経験であり、そこから得たものが、この本を書くきっかけになった。
義父の最期を見ながら、自分の最期をどのように迎えるか、その覚悟の一端を書いた。
自宅での死を提言しているのは、わたしもその一員だが、団塊世代が高齢者となり、人口の中でも大きなかたまりになっている人たちが死を迎える。これだけたくさんの人が亡くなると、いまやふつうになった病院での死がむずかしくなる。
そこで、自宅で死ぬことを死の選択肢として選ばざるを得ない。
そのときに、自分はもちろんだがパートナーや家族などにも協力してもらう必要がある。ひとり暮らしの人は、友人やご近所の人たちに、死を迎える前から、話しておかなければならない。
自宅で死ぬときに、必要なことはこのコミュニケーションである。
話し合って、お互いに理解し合うということがないと、自宅では死ねないし、望む穏やかな死を迎えることはできない。
一方的に、自分の考えを押しつけるのもよくない。お互いにということが非常に重要である。

自宅で死にたい』をよろしく。