介護施設で働いている人の意見

 先日、『自宅で死にたい』を読んでいただいた医師や看護師、介護福祉士を前に話をさせていただいた。患者、利用者が、どのように考えているかを知りたいということだった。
 『自宅で死にたい』では書けなかったことを中心に、死をもっと身近に感じてほしい、死は誰でも訪れることを知る、死を遠ざけてしまったわけなど。そして、なぜ、自宅での死を望むのかというと、最期まで個人として生きる、おじいちゃんとは呼ばれたくない、自らの最期の意思を通すためには自宅でなければならないという持論を話した。
この講演会で、病院(クリニックや診療所)や介護施設では、高齢者をどのように見ているかを知りたかったので、質疑応答では主に、わたしのほうから質問をしてみた。
介護施設で働いている看護師からは、「早くお迎えがきてほしい」というお年寄りに、生きがいをもってもらうように苦労しているという。
ある介護福祉士は、高齢者だから、特別に意識することはない、自分たちより年配の人が生活に困っているのを助けているという回答だった。
高齢者施設にいても、日常生活を送ることはできる。
「ただし、飲酒、喫煙などの規制はあるけどね」という施設で働いている人の意見に対し、
「生活は確かにあるけど、その暮らしに“花”はないね」
といった介護福祉士がいた。
花か。
食べる、眠る、排せつするといった生活を送ることはできるが、生活を彩る花がない。
花は、人それぞれ違うだろう。
ひとりひとりの花を知っているのは、家族だという。やはり家族でなければ、生活を彩ることはむずかしい。
施設で働いている介護福祉士は、花がない、と感じているのだ。それはなんとかしようとしている。
施設で人気のある行事は外出だそうだ。ウインドショッピングをしたり、外食したりするのは、大好評とのこと。外食すると、みなさんよく食べてくれます、といっていた。
これも、花のひとつなのだろう。
最期をどこで迎えますか、という質問に、介護施設で働いている人は、自分たちの仕事に誇りをもっているし、できる限りのことはしているから、最期は施設で迎えたいといっていた。

最期をどのように迎えるか。
いま考えている人は『自宅で死にたい』をぜひお読みださい。