自らの死を想像してみよう

生老病死。しょうろうびょうしと読む。
仏教用語で四苦という、四苦八苦の四苦だ。
生まれる、老いる、病を得る、死ぬ。これらを思う通りにならない四つのこととしている。
まさに、生まれる、老いる、病を得る、死ぬということは、思い通りにはならない。
生まれるはもちろんだが、老いも避けることはできない。また、いくら予防に心がけても、すべて病を避けることはできない。
そして、誰もが死ぬ。
『自宅で死にたい』を書いたときも、この生老病死が常に頭の中にあった。
思い通りにならないことなら、いっそこの四苦を積極的に受け入れて生きていったらどうだろう。


とくに、治らぬ病をもち、年齢を重ねることで、残された時間がそれほどないことを知れば、いかに死ぬかということが重要になってくる。
死を受け入れることだ。
そのために、自らの死を想像してみることだ。
わたしたちには、想像力がある。死も想像できるはずだ。
いままで培ってきた知識によって、ときには自然の移ろいによって、もちろん人の関わりからも、死は喚起される。
自らの死を想像してみよう。亡くなる場所、周囲の状況、そして、いちばん大切な自分の希望を加えて想像する。
友人と話していたら、亡くなるときにまわりに家族はいなくていい、夜お休みといって自室に入り、翌日起きてこないなと家族がきたら亡くなっていたというのがいいという。
ひとりで亡くなる。こういうこともありだ。
そして、自らの死の想像をいっしょに暮らしている家族やパートナーと共有することだ。
自分らしい最期を望むなら、まずこれをやってみよう。
ひとりで暮らしていても、そうした思いを友人たちに伝えておこう。
人は、想像することで生きている。
自らの死を想像することは、そして、生きることにつながっている。
自宅で死にたい』をよろしく。