あけましておめでとうございます

あけまして おめでとうございます
わたしが、八ヶ岳南麓に家を建てたのが1993年ですから、いまから22年前。住みはじめたのが2005年ですから、今年で10年です。
10年ひと昔とよくいいますが、ようやくここに根を下ろすことができたかな、という感じです。
西向きの仕事部屋から、毎朝、森を見ているのですが、朝日が木々に当たり、その間から青空が広がり、本当にすがすがしい。
都会にいたときは、こんな青空を見たことがありません。空をしみじみ眺めるということもあまりありませんでした。つくづくいいところに住んでいると思います。
この時期になると、ほとんど氷点下。寒さはだいぶこたえます。でも、このすがすがしさを知ると、都会に戻ろうという気にならないのです。
まだ少し先になりますが、暖かくなり、木々に新芽が出て、葉がつきはじめると、春がやってきます。三春といいますが、梅、桃、桜がいっせいに咲きます。ここでも多少の時間差はありますが、ほぼ同じ時期に咲いていきます。高度の高いためか、梅はあまり見ませんが、桃、桜が咲きだすと、もう春真っ盛りですね。
そして、短いですが、過ごしやすい夏がやってきます。
春、夏、秋、冬という四季をじっくり味わうことができます。
この四季を感じることが大切だと思っています。
義理の父の最晩年をともに過ごしたのですが、ここにきた当初、父は100歳まで生きるといっていました。92歳でしたが、悪いところもとくになく、こちらで白内障の手術を受けたら、よく見えるようになったと喜んでいました。絵を書くことが趣味というか仕事のように取り組んでいたのですが、だんだん衰えてきて、自分の部屋から外を眺めることが多くなりました。足腰が弱ってきたし、転んだりして、外に出掛けることがなくなりました。
父の部屋の前は、かつては畑だったのですが、畑をしていた老夫婦がなくなり、現在は植林をしているのですが、鹿に芽を食べられてしまい、ススキが茂っています。遠くに林があり、その向こうに富士山が見えます。いい部屋なんですが、その窓から、義父は四季の移り変わりを見ていました。
老いを知るときとは、思うようにからだを動かすことができなくなったとき、物忘れが多くなったとき、といろいろありますが、移り変わる四季でも感じるのではないでしょうか。
人生の四季を義父も改めて学んだような気がしています。そして、穏やかに亡くなっていきました。
わたし自身も四季を味わいながら、生きていこうと思っています。
みなさまにとって、よい年になりますように、お祈りいたします。
2015年 元旦