医者は負け戦ばかり

帚木蓬生(ははきぎほうせい)の『天に星 地に花』を読んだ。
久留米藩に起きた一揆を取り上げているが、大庄屋の次男である主人公が一人前の医師になっていくというストーリーである。
著者が医師だけに、医療に関する警句が数多くあり、それは現代にも十分通用する。
師事している医師から「医者は負け戦ばかり」ともいわれる。病に勝つこともあるが、負け戦のほうが多く、それに耐えなければならないと。
患者の命を救えない、病気を治すことができないということに、謙虚になれということだろう。
負け戦という表現がいい。
医療は命のやり取りをしている「戦場」といえなくもない。そして、医師は闘っているのだが、多くは負け戦になってしまう。
相手は、細菌やウイルスばかりでなく、人の習慣であったり、思い込みであったりするから、なおのこと。
自らを省みて、謙虚に「負け戦」というのがいい。
また、効果がないと思っても、医師が立ち向かっていかなければならないときがある。そのことで、患者の気持ち、家族の思いを共有する。
人生の幕引きかかりになることもあるが、いるだけで患者も家族も安心する。
さらに、目とは不思議なもので、見えとっても見えないもののほうが多いともいう。
患者の気持ちや家族の思いが見えないのは、ダメだということだ。
診察には、丁寧、反復、婆心が大切。丁寧、反復は、わかるが、婆心とはなんだろう。老婆心と同じ意味だ。行き届いた親切心とでもいいましょうか。相手を思いやる気持ちだ。
それに、もうひとつ、「貴賎貧富にかかわらず」が大切といわれる。これも大切なことだ。
そして、病を克服する最後の決め手は、患者に宿っている治る力だ。医者は、つまるところ、治る力を引き出す黒子であると。
医とは、究極のところ、その復元力の邪魔をしないことに他ならない。
医は祈りに他ならないともいう。そして、祈りはいかなるときでも人の復元力を損なわないと。
江戸時代と現代の違いはあるが、いまでも十分生きている。
もちろん、医療の世界だけのありようではない。
いい本だった。