朋輩

朋輩。
息子の嫁さんになる人のお父さんが亡くなられた。
1月の半ばにお会いしたとき、健康診断でもどこも悪いところはない、飲むものといえばビールだけです、とおっしゃっていたのに。
長年内航航路の船長をしていたが、いまは定年になり、船長の補助をしていた。船を操舵中に心筋梗塞で倒れ、海上保安庁の救難ヘリで病院に運ばれたが、間に合わなかった。
突然の死に驚いたが、家族はなおさらだったろう。
息子は、葬儀に出席するため、すぐに四国高知へと旅立った。わたしは葬儀に参加するかどうか迷っていたが、先方のお母さんにぜひきてほしいといわれ、高知へ飛んだ。
南国といえどもいまがいちばん寒い時期、最低気温は零度になる。しかし、八ヶ岳と異なり、梅が咲いていたし、春の兆しがあちこちで見られた。
親戚同様の扱いを受けながら、通夜、葬儀と無事に終了した。火葬場を兼ねている葬儀場で、ご遺体は火葬された。
お骨上げを終え、隅のほうでホッとしていると、お父さんの友人が引き返してきて、わたしの両肩をがっしりとつかみ、耳元で「朋輩といっしょに、娘さんの結婚式で飲みたかった」と。
さらに、「実の子のように思ってくれ」と息子の嫁さんになる人の名前を呼びながら、いわれた。
朋輩、友だちよりなんとも濃い関係をうかがわせる。
わたしはこの言葉をはじめて耳にした。
そして、朋輩に囲まれ、娘の花嫁姿を見ながら、お父さんもお酒を飲みたかったに違いない。
そう思った瞬間、涙があふれてきた。
お父さんには一度しかお会いしていないが、お父さんの朋輩という友人たちとの深い濃い関係にこころをうたれた。
朋輩とともに歩んできたお父さんの人生を目の当たりした感じである。
朋輩の子どもたちへの強い思いも喚起され、涙はとまらなかった。
もう少し長生きしてほしかった。
家族として本当に長生きしてほしかった。
本人がいちばんそう思っているだろう。
人寿に定まりなし。
お父さんも人生を生ききったに違いない。
享年67歳。
ご冥福をお祈りするばかりである。