にんげんなんだから

前立腺がんを闘う友だち。『自宅で死にたい』の中でも紹介した友人だが、前立腺がんが見つかったとき、前立腺がんのマーカーであるPSAは2800もあり、すぐに入院、そして去勢手術を行った。男性ホルモンの活動を抑えるのが、前立腺がんの治療には欠かせない。友人は、がんが見つかったときにすでに骨転移がみられ、切除はできないし、放射線治療もできない状態だった。しかし、去勢手術とホルモン療法のおかげで、PSAも正常値近くまで下がり、いっしょに山に登れるまで体力も回復し、元気に過ごしていた。
この治療の有効期限はおおむね3年といわれているが、友人の場合もその通りで、3年がたち、徐々にPSA数値が上がりはじめた。
次なる治療法としては、手術や放射線治療はすでに行うことができず、抗がん剤を中心とした化学療法しかない。
前立腺がんはアメリカでは男性のかかるがんのなかではいちばん多く、抗がん剤もいろいろ開発されているが、日本では認可されていないものもある。昨年、2種類の抗がん剤が相次いで認可され、化学療法も選択が広がった。
彼もそのおかげでまずは2種類の抗がん剤を時間をあけて使うことになった。
通院でも治療は可能だが、いま通っている病院にベッドも空きもあり、感染症を防ぐために入院して、治療を受けることになった。
その入院前、自宅を訪ねた。抗がん剤治療を受けるには、まだ体力のあるいましかないと決断をしたが、不安はある。新薬は、できるだけ副作用を抑えるようになっているが、効果がある代わりに副作用もある。どんな副作用が待ちうけているだろうか。耐えられるだろうか。
本人も医師からきちんと説明を受け、納得しているといっても不安はなくならない。わたしも専門的なサイトを調べて、彼が受けようとしている治療がいまのところ最適なものであることを伝え、前立腺がんの治療は日進月歩で進んでいるので、少しでも長生きしてその恩恵にあずかれるといいねなどという話をし、しかし、抗がん剤治療はいまのところがんを克服するものではなく、命を永らえるものであることを知っておくことも付け加えた。
わたし自身腎臓の具合が悪く、お互いにそれほど遠い話でなく、死を迎えることになる。死を迎えるに当たり、いま何をすべきか、何を考えておくべきかということを改めて話し合った。
その間、それぞれの連れ合いといっしょに東京を散策した。
わたしは、『日曜美術館』でも紹介されていた相田みつを美術館に行ってみたかった。彼の書に興味があったからだ。書の内容は、わざとらしいところ、あざといところもあり、好きになれなかったが、あの独特の書はどこから生まれたのかが気になった。書の師匠につくことなく、自身の詩を見てくれる人たちに伝えるのは、どのようなものがいいのか、その思いの先にあの書があったようだ。誌と書が一体になり、語りかけてくる。
あざといと思っていた文言も素直に受け取ることができた。
友人も同じ思いだったようだ。
人間に対する思い、人生に対する共感が、あの書にあったのだ。
よき出会いだった。
にんげんなんだから。